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日蓮大聖人の仏法を考える
Sunday, March 2, 2025
日常生活が御信心
初代講頭座談会 2008年12月19日 信心というものの取り違えが多い。日蓮正宗そのものの誤りだけれども。御信心とは日常の生活のことを言ってるからね。信仰心によって生活を見ている。寛尊のお言葉にあるように「仏法のいわれを知ればまた世法も仏法か」とおっしゃるように、日常の生活...
御本尊様を信じ切れた人は強い
初代講頭座談会 2007年11月12日 質問者→大丈夫かなあと不安になる気持ちと、いや頑張るぞという二つの気持ちがある。でも頑張るぞと思ってもそういかないときがある。どうしたらいいですか。 我、無関心でおるんだよ。たとえば、そこにヘビがおる。裏山にハメ(マムシ)に注意!と看...
師弟子の法門
初代講頭座談会 2008年10月9日 (亡くなる前の講員を見舞った話のあと) 外相(げそう)が変わるということは内証が違うのよ。内証が。これができなかったら外相は変わらんのだよ。御信心、御信心といっちゃったてここ(胸・心)が変わってなかったらここ(顔)は変わらんのだよ。ここ...
言葉の不思議
初代講頭座談会 2007年9月3日 質問者→自分がきちっと思う。元気でおらしていただいていると思っている。御本尊様にお願いして元気におらしてくださいとお願いして、元気でいられるということが分かりました。 言葉の不思議なんだよ。これはある学者の説なのよ。商売している人でもなん...
自分以外に何もない(己心の法門)
初代講頭座談会 2006年8月28日 御信心のありようも(顕正会当時と違って)だいぶん違うということが分かってきたと思います。大聖人様が方便ではなくて、肝心かなめのことは何をおっしゃっているか。自分なんだ。自分というものがシャンとしとらないかん。自分がフラフラしよっちゃあね...
生活が修行
初代講頭座談会 2002年7月18日 自分の言ってることが正しいと力説することが諍(いさか)いの始まり。お互い末法の凡夫が正しいとか間違ってると論ずることが、道理の上から見たならばあるかもしれないが、そんなことを論ずるより自分がどうあるかが一番大事なこと。だからね、文底で法...
求道心
初代講頭座談会 2007年6月5日 御本尊をいただいてからが、ね、本物の信心に入るんだよ。それまでは誘引せられていくというか、方便的な衆生を済度すという言葉があるけどね。功徳功徳功徳功徳というふうなひとつの姿を見せてもらうわけなんだけど。それから素晴らしいなと入っていく。そ...
言語道断・心行所滅
初代講頭座談会 2006年5月16日 信ずるということと不(ぶ)信心ということがある。我々は不信心であってはならない。信じることができないと誹謗に通じている。妙法蓮華経が信じれない人は間違いなく誹謗するよね。一切の人に仏性があるということに気が付かない。あれはあんな人よ、と...
言葉の怖さ
初代講頭座談会 2002年5月13日 先にも話がありましたけど、言葉は自分の身を亡ぼす。自分にも当てはまるなあ。言わいで(言わないほうが)よかったと思うことが大いにあります。←質問者 そう、ほとんど言わんほうがいい。「辛抱したけれど思い切って言うた。もうスーッとした。」これ...
初代講頭座談会 2007年4月2日
心配することについて。 現実には何も起きていない。虚像。すなわちそれを頭の中でこしらえてしまう。先のこと先のことを考える。それは特殊な才能を持っている人がすること。(笑)全然何にもないのに自分が踊らされている。自分の恐怖心に。これを仏法では地獄界という。誰でもない自分の一念...
不信
初代講頭座談会 2006年3月6日 本当に果報のない者は、この信心から退(の)いて(離れて)いく。寛尊の御指南によると、一切の事柄は不信から始まるといわれている。みんなはまだそれに気が付いていない。自分が信じているつもりだから。グチグチ言っていることが不信からきていることに...
功徳とは
初代講頭座談会2002年2月21日より ・功徳とは 僕はよく功徳をいただく方の信心のありようを人さんの姿を見ながら説明している。こだわっている人には功徳は出ていないといつも言ってる。物にこだわってこうだああだと言ってる人には功徳が出たためしはない。ところがもうどうなってもい...
仏法には形がない
初代講頭座談会2002年1月24日 ・仏法(信心)には形がない 御信心は形がない。ところが私たちは物質世界に生きている。でも肝心要のものは命なの。目に見えない。私たちの命の働きが物質世界に影響を与えている。物質物質と追いかけているのは流転している状態。自分の生命を行き詰まら...
仏教と仏法
初代講頭座談会(2002年12月4日) 腹の決まっている人の信心は、出てくる相が善相であれ悪相であれ善悪関係がないの。自分が害せられるかもしれない利せられるかもしれない。それも関係ないの。妙法蓮華経に身を任そうとしているの。身を任すということは右往左往しないということ。...
文・義・意
初代講頭座談会(2001年11月15日) ある方からこういう話を聞いたのでそのままお伝えする。大石寺のお寺へ行ってる人から、入れ入れ入れとやかましく言われるので、それなら僧侶の話を直接聞きたいとお寺へ行った。その人はなんでそんなに入れ入れというんですかと聞いてみた。ところが...
信心は情熱をもって
初代講頭座談会(2003年10月23日) 御信心は情熱をもってやってくださいよ。自分の心が自分の身体を引っ張っていくようじゃないとね。自分が情熱をもった時には心が身体を引っ張って行くんですよね。これは十二因縁という御書の中に出てきます。私たちの御信心は、心法の成仏が大事なん...
折伏は自分に
初代講頭座談会(2006年9月26日) 仏法とは生活法なんですよ。ご家庭の中で信心のことでもめることがあったら、その信心は誤っているんですよ。ご家庭で決して信心のことでもめてはいけない。自分のやるべきことを捨ててしもうて、信心だ信心だと走り回ってはいけない。それは僧侶のする...
戒定恵の三学
2002年8月8日 初代講頭座談会より みなさんは南無妙法蓮華経が別個にあるという感覚がまだまだあるのではないか。自分そのものが妙法蓮華経であるととれれる自分になっているかどうか。南無妙法蓮華経と題目をあげることによって、観心の本尊といわれているが、直ちに自分自体が妙法...
乞食信心
2008年7月29日 初代講頭座談会より 質問者→なにかあったときに講頭さんは御祈念して、あとはスッパリ置いときますよね。私たちは置いとったつもりでも。。プカプカと思い出したりとか。 御信心のありようがわかっていないから。流れていくのが信心だと思っているから。根本的なこ...
すごい信心
2007年7月9日 初代講頭座談会より 質問者→生活していく上でいろいろなことが起きてくる。起きてくるのは当たり前。これを善知識として取りなさいと講頭さんから言われるが。。そうですね。 そうですよ。 みんな(笑) ...
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