日蓮大聖人の仏法を考える
Sunday, March 2, 2025
戒壇の本尊とは
楠の板曼荼羅のことでしょうか?
阡陌陟記P19
法門の世界に於いては文証の介在する余地はない。あるのは感得だけである。感得は受持と同じ様な意味であり、文の底に秘して沈めた法門を知るためにはこの感得以外に方法がない。弟子が師の内証、即ち文の底に秘して沈めた法門を感得した時、そこに戒壇の本尊を感じ、本仏日蓮大聖人を見る事ができる。自解仏乗というのもまたこのような境界を云うのであろう。
阡陌陟記P22
さて宗開三の三祖は順次日月星辰にあてられ、三祖目師が宗開両祖を頭に戴く時、明星となって而も推功有在の故に功徳は宗祖に還元される。ここに云う目師とは所謂歴史上の目師のみならず、既に道師以下の人々、即ち弟子分に一箇した処の目師を指す。そして人をとれば日蓮大聖人といい、法をとれば戒壇の本尊といい、これを人法体一というのである。
阡陌陟記P23
清澄山で虚空蔵菩薩に祈った知恵は未だ応仏の領域に於ける知恵である。安国論の折伏を一往応仏世界の智に比し、これを受けとめる弟子、この弟子の側からこれを報仏の智と受けとめる。ここにも文段抄の意義を了知すべき処がある。師は既に修行充ちて折伏の資格が備っているが故に折伏を行ずる。弟子は未修行の故に外相に摂受と受けとめ、その折伏を自行に向ける。これが現実の弟子の在り方であろう。これを捉えて末法に於ける己心の一念三千の上に成じる戒壇の本尊の意義を明らかにする意味が含められたもの、これが文段抄の意図する処である。
末法に於ける修行の在り方を示しながら、戒壇の本尊があくまで内証にあるものであって、外相のみが本尊ではないという意義を闡明されようとした処がほのかに見える。ここに寛師の甚深の意がある。
阡陌陟記P32
文底秘沈の一念三千の法門は、三学に始まって更に戒壇・本尊を摂してここに題目と現われた。これは三秘相即の題目そのものであり、当体・勘文両抄に縁じて明らめられた久遠名字の妙法である。そしてこの久遠名字の妙法である題目が、宗開三の三祖に縁じて、そこに大石寺独自の本尊が明らかにされ、法をとれば戒壇の本尊、人をとれば日蓮大聖人となって現われる。この本尊の内、その師の部分について詳細に説明してあるのが当家三衣抄であり、既に文段抄に説かれた弟子分と共に、師弟一箇して戒壇の本尊と現われ、日蓮大聖人と現ずるのである。
ところが現在の宗門のように、本尊が管長一人に摂まるという様な状況になると、そこに種々様々の権力が生じ、俗身の貫主本仏論という様な異流義が横行するようになるのである。これらはまさに流転門の極みである。己心の法門が還滅門という本地を離れて、外相だけが強調されてくると、左は右、即ち民衆仏法は色相荘厳の貴族仏教となり、最低は最高、即ち教弥実位弥下が教弥権位弥高となって、本末転倒する事になる。現実には東南の空に出る明星は、法門では東北の隅の地下となる。流転と還滅が真反対になる事は本尊に示されている通りである。
大石寺法門は本来還滅に立った法門である故に、今こそ本地を再確認することが最要である。時のしからしむる処というべきか。これが師弟各の得分ということではなかろうか。六巻抄にしても語句の注釈だけでは深い意図は窺い知れない。何をおいてもその大綱をつかむ事が先決である。
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うーん、難しい。分かった人いますか?手を挙げてみてください。。
(神仏や物体に手を合わせて祈ったら願いが叶うなんてのは、オ モ テ ナ シ ではなくて、オ カ ル ト だよね。絶対、ウ ラ ア ル シ 。。)
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お世話になっている御僧侶の説明は明快です。結論部分のみ。
寺報2019年4月(熱原の衆)
宗祖にお目にかかったこともなく、しかも彼らは「下人」であったと思われます。ですから高邁な教義も知らなかった、その者共が、宗祖を末法の大導師と信じ、自身の内証に南無妙法蓮華経の本尊があると信じ、殺そうとするモノを恨むことなく掌の中に受け止めて、南無妙法蓮華経と死んでいった。
その時こそが、宗開両祖をはじめ、熱原法難に関わったすべての僧俗の祈りが、迫害者をも含めて、一言の題目に昇華され、戒壇の本尊と現れたのであります。
その時こそ弘安二年十月十二日(二頁写真一行目)であったのであります。
寺報1993年1月(酉年に思う)の要点。(歴史的事実ではなく信仰上の真実)
酉は、物事が成就する意味がある。今月十五日酉時御文同じき十七日酉時到来す(聖人等御返事)。『御伝土代』には「日興上人の御弟子駿河国富士のこうり熱原より二十四人鎌倉へ召され参る」。熱原の三烈士の最後の一言摂尽の題目が縁に触れて戒壇の本尊へと昇華した。弟子の成就は師の成就。『涅槃経獅子吼菩薩品』には十二因縁を名づけて仏性と為す、とある。師弟の二人が頸切られ、師弟二人の仏性12×2で二十四人と説かれた。師弟の成道を示された文と解すべき。(感想。「熱原の法華宗二人は頚を切れ畢ぬ」という記述がある。二十四人は不軽菩薩の二十四字もあるかなあ。二十四字が切られて南無妙法蓮華経日蓮に化けた?のかも)
日蓮の二文字を日月に配し、日は日蓮、月(蓮)は白蓮・日興・月読み神。弘安二年十月十二日を月で読めば師と弟子の仏性が向き合っている。(二十↔十二ということ)。
日興が身に宛て賜わる所の大本尊。日興上人の当身たる内証真身を戒壇の大御本尊と建立された。三烈士と日興上人、三烈士と大聖人、大聖人と日興上人という三重の師弟一箇を含んだ上に、日興上人の当身が戒壇と開顕された。『御伝土代』の戒壇本尊建立は宗祖伝ではなく開山伝に記述されている。
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だんだん下へ伸びてますが。。
顕正会で教育を受けたので、戒壇の本尊は弘安2年10月12日に成立したと思っていたわけです。(その根拠は何でしょう?脇書?)しかし、宗祖は10月1日の聖人御難事に、「仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり・・」と書かれています。そして、10月12日の伯耆殿等御返事(日興上人写本)の最後には「下」とあり、熱原の衆に仏国土を下されたと御僧侶は解釈しています。10月17日の聖人等御返事(日興上人写本)には、「今月十五日酉時御文同じき十七日酉時到来す、彼等御勘気を蒙るの時・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云、偏に只事に非ず・・」とあります。なお、新編日蓮大聖人御書全集P1455には載ってないんですが、「下伯耆房 日蓮」などの書き込みがあるようです。
聖人等御返事
日興上人は戒壇の本尊は12日と受け止めたんでしょうが。1日(出世の本懐)も捨てがたい。。日蓮大聖人の信仰は日興上人が始めたんだから12日でいいのか。
注:寺報2011年11月(信仰観が違う?)には、私の立場は、宗祖日蓮大聖人の仏法を信仰する者であります。なかでも、弘安二年十月十二日の「日興が身に宛て給わった、御本尊」を根本尊敬とする者であります。
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いよいよ伸びてますが。。
戒壇の本尊と曼荼羅の関係は?などと疑問は出てきますよね。弘安2年の戒壇の本尊が成立する以前の曼荼羅と以降の曼荼羅は意味合いが違うのか。戒壇の本尊成立以前の曼荼羅を拝んでいいのか。とか。
まあ、戒壇の本尊(目に見えない)と曼荼羅は別物ということで。解決かな。三大秘法(本門の戒壇・本門の本尊・本門の題目)は自分?(己心)の中にあると。三大秘法がどこか別のところにあると、南無阿弥陀仏のように、阿弥陀さん何とかしてくれという信仰になってしまう。
注1 寺報2011年11月(信仰観が違う?)には、概略、立正安国会の中山喜八氏によると弘安年間以前の曼荼羅授与者に弘安年間の曼荼羅を加授している。宗祖は「法華曼荼羅」ではなく「南無妙法蓮華経の曼荼羅」を主張された。
注2 寺報2015年11月(見失ってはならないこと)には、当宗において、宗祖の曼荼羅を安置しない所以は、戒壇の本尊を根本としているからです。それ故に「母珠をこえず」といわれているのです。
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戒壇の本尊と三大秘法の関係は?戒壇の本尊って二大秘法を含んだ名称で、欲張りすぎじゃないかとか、新たな疑問も出てきた。
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「日蓮正宗正信会の正当」P118にありました。(本当に記憶力がない。。)昔から三大秘法を「戒壇の本尊の題目」と表現するように、と。ということは、戒壇の本尊も戒壇の題目も戒壇の戒壇もあるのかな。
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脱線してるかもしれませんが。。
戒壇の戒壇とは、一人一人が自分自身に戒壇を建立すること。戒壇の題目とは、上野殿御返事(竜門御書)にあるように「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」という南無妙法蓮華経を唱えること。戒壇の本尊とは、この題目が昇華した本尊を自分の戒壇(己心)に安置すること。
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宗祖日蓮大聖人は、熱原の衆一人一人に戒壇を見(観)、本尊を見(観)、題目を見(観)たはずです。それらが昇華して弘安2年の戒壇の大御本尊となったとするならば、信仰する我々一人一人にも、戒壇・本尊・題目が揃っていないと、あなたは一体何の信仰をしてるの?ということになるのでは。他人(ひと)に自分の信仰を説明できない。南無阿弥陀仏と何が違うのと聞かれても答えられない。それで、拝んだら功徳が出るから信心しよう、と言っちゃう。。
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ここまで考えて、顕正会をやめて、お世話になっている御僧侶に最初にいただいた「日蓮正宗正信への道標」というプリントを見てみた。(中身はすっかり忘れてる。。)
「我々の己心に建立される本尊ーこれは、つまり戒壇の御本尊の題目なんです。だから普通、戒壇の御本尊と云う場合には、戒壇本尊の南無妙法蓮華経を省略して戒壇の御本尊といってるわけです。ですから戒壇本尊と云ったら南無妙法蓮華経のことなのです。大聖人が顕わされた本尊は、実は我々の己心の中にもともとあるのです。我々の心が煩悩によって濁っていてその本尊が見えない。その本尊が見えないから、信心の二字によって、われわれの己心の中に三秘相足の御本尊と云うのを建立するわけです。それを最初に建立されたのが大聖人ですから、大聖人のことを南無日蓮大聖人といって信仰するわけです。そういう意味で御本尊というのです。」
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いろいろ見返してたら出てくる出てくる。(やっぱり忘れてる。。)
寺報2015年11月(見失ってはならないこと)
『観心本尊抄記』
疑いなく持ち奉る所は本門の大戒壇なり。戒壇の本尊を代々の上人之を書写し我らに授け給えば、我らが己心の本尊を現前に顕し給えるなり。
すなわち代々の上人が戒壇の本尊の内証を持って書写なされた曼荼羅を、私達が唯一無二と受持するならば、我らが己心の本尊を現前に拝することができ、それこそが戒壇の本尊であるとお説きなのです。
寺報2016年7月(言葉は)
『観心本尊抄記』
人法一ケの本尊とは、一幅の大マンダラの主に心を付くべし、雖近而不見とは是れなり。是れを昼夜信受すれば、現安なり。又当に来世に於いて必ず作仏を得るべきは、毎自作是念の悲願なり。疑いなく持ち奉る所は本門の大戒壇なり。無始の罪障消滅、戒壇の本尊を代々の上人これを写し、我等に授け給えば我等が己心の本尊を眼前に顕し給えると、無疑曰信明了曰解と信心第一なり。
私達が、信仰しようと決意し、合掌して南無妙法蓮華経と唱えた時、すでに戒壇の本尊に触れ、受戒できているのです。
(注:『観心本尊抄記』は日宥上人の著。検索してもあまり出てこない。。)
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ついでにと言ってはあれですが。。
寺報1992年6月(心蓮華)
高いお金を払えば、大聖人の真筆曼陀羅を買うこともできるでしょう。しかしそこで手に入れることができたのは大聖人の手跡であり、大聖人自ら「日蓮が魂」と仰せられた御本尊ではありません。本物の御本尊はお金で買うことはできないのであります。「日蓮が魂」たる御本尊はいつでも誰でも、信心が決定すれば我がものとすることができる。これが法華経の信心であり、本尊観であります。
現在私達が曼陀羅を御安置する意は法華経の信心修業が単なる観念的な思索ではなく、行住坐臥に法華経の仏とともにあることを事相に表徴したもので、大聖人の御内証を表わした一幅の曼陀羅を生身の日蓮大聖人と拝して、如在の礼をとり、身をもってお仕えしていくことが、おのずから仏道修行となるのであります。凡眼をもって拝すれば、ただの紙に字を印刷したものや、板に字を彫りつけたものですが、信心をもってとらえたならば、三世常住の日蓮大聖人と拝するのであります。だから、「信心」という心があってこそ、一幅の曼陀羅も意味があるのであります。
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現時点の戒壇の本尊についての考え。
宗教としての日蓮正宗の己心の本尊が戒壇の大御本尊。これは熱原の三人衆の己心の本尊に仮託して誕生した。そして、観心本尊抄の意である我らが己心の本尊。戒壇の本尊は、この二本立てです。
追加
曼荼羅に向かい礼拝する。その人の己心中(戒壇)に本尊建立を見る。(寺報2010年3月)
追追加
宗祖が熱原の衆に下された領国は、仏国土であり、霊山浄土。私たちはここを成道のふるさとと信じ、戒壇の大御本尊と申し上げる。(寺報2023年12月)
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大石寺にある戒壇の大御本尊というものは、客殿の奥深くましますもの、遥拝するもの。今は集金スロットマシンとして利用されているため表に引っ張り出されて信者が直拝している。(信者や会員は一生懸命レバーを引くが稼ぎは胴元に吸い取られる。たまに大当たりしたと体験発表してる)。仏像を拝んだら御利益があるという他力宗教に同じてしまった。与同罪。お、そ、る、べ、し。おっかないおっかない。
「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けしめたまふ」。これを他力ととるか。生まれながらにもっているんだ、自力ととるか。生き方が違ってしまう。大石寺は自力の宗旨でしょ。自分が生まれながらにもってるんだととらえて(決断して)生きるところに価値があるんでしょ。人からあれしろこれしろと言われて生きるのは楽なんですよ。銀河英雄伝説の、なぜ独裁者が生まれたのか。人々が楽をしたがったからだ、というのも納得です。自分の人生を自分が責任をもって生きるためには自力しかない。仏像や曼荼羅に祈ったら願いが叶う、うまくいく。人生万々歳。こんなのアホらしいと思わないと。
楠板の大曼荼羅(戒壇の大御本尊)は、宗教として格好つけるために作ったのかもしれない。いきなりこんなものがありますよというわけにはいかないので隠した。法門からも都合がよかった。まさか、写真に撮られたり、本物だ偽物だと議論になったり、信者に公開して拝ませる日が来るとは。作った人はおいおいと突っ込みを入れてるはずです。顔は泣いてるかもしれない。おいおいだけに。