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陛下車列に瓶や角材投げ逮捕された過去 名護市議の思い

 以下のような記事が朝日新聞のサイトに掲載されていました。

 沖縄県名護市議の川野純治さん(63)。学生運動家だった1975年7月、沖縄を初訪問した皇太子時代の天皇陛下の車列に向かって、仲間と牛乳瓶や角材などを投げた。車列は無事だったが逮捕され、公務執行妨害罪で懲役1年6カ月の実刑判決を受けた。

 太平洋戦争末期の沖縄戦では10代半ばの学生まで戦場に駆り出され、多くの住民も「集団自決」に追い込まれた。陛下個人への反感はなかったが、「沖縄戦での天皇の責任を問うための行動だった」と振り返る。

引用終わり。

 これを読んで、随他意の生き方をしているなあと思いました。

 伝教大師の法華秀句に「已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経は易信易解なることを。随他意なるが故に。此の法華経は最も為れ難信難解なり。随自意なるが故に。随自意の説は随他意に勝る」とあります。

 私は「随自意」はすべてのことは自分にあると覚悟すること。世の中のすべての事象は自分に責任があると考えることだと思っています。

 引用した記事は、他人に責任を転嫁して生きているように思える。法華経的人生を送っているとは思えない。

 戒壇の大御本尊は一閻浮提総与というのも随自意から導かれるものだと思います。

 法華経は釈尊が説いた最も大切なお経と感じるのも随自意。

 信じる者は救われる(キリスト教からきた言葉のようですが。。)は随他意の教えであり、信じる者も信じない者も共に成道を遂げられる世界というのは随自意だと思います。

 随自意の信仰、生き方をしていきたいと思います。

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