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言葉の不思議

  • kisuke1965
  • 2021年9月11日
  • 読了時間: 2分

初代講頭座談会 2007年9月3日


質問者→自分がきちっと思う。元気でおらしていただいていると思っている。御本尊様にお願いして元気におらしてくださいとお願いして、元気でいられるということが分かりました。


言葉の不思議なんだよ。これはある学者の説なのよ。商売している人でもなんでも自分が成功しようと思ったら、困ったこうしたらどうなるろう、困ったどうやったらええろうこんな問題が起きた、言ってる間はダメなそうだ。ところが、やり抜くぞ必ず道は開くぞと自信をもって行動している人は道を開いていく。 大聖人様もおっしゃっている。言葉というものは自分の一念心が法界に出ている。法界とは十方界。地獄餓鬼畜生の話だ。僕たちは御本尊に向かうときは手を洗い口をすすいで題目をあげると昔から言われている。ところが南無妙法蓮華経は汚れがあるとか何があるとか関係ないの。どんな境涯であろうがどんな状況であろうが、題目をあげることによって、その本人の一念心のありようが救われていく。妙法の不思議とはそういわれている。いかなる者であってもたった一言の妙法蓮華経によって救われる。それだけ妙法というのは素晴らしい。その思いというのはここにあるの。それが言葉になって出てくる。出てきたときに自分自体が刹那成道を遂げているわけなの。それは何かいうたら法を信じ切れた時なの。法というものを信じ切れた時には刹那成道を遂げる。刹那成道を遂げたときには法界をも助ける形をとる。それはどういうことかと言ったならば、経文をもって言うたならば多宝如来は証明するよね。法華経に出てくる多宝如来は。そのごとくに証明されていく。境涯が。妙法蓮華経をきちっと信じていることによって、どんな境涯におる人でも、ジワーっと整理されていって、こんな境涯になってきた、いやこんな状況になってきた、本当うれしいという境涯に変わっていく。これが法界を助けていく形に変わる。それには自分自体の言葉。その言葉そのものが妙法蓮華経となっている言葉なのか。それとも法を軽んずる言葉なのか。たったそれだけのことなの。

 
 
 

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