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成仏

このところ、「冬は必ず春となる」の御文をきっかけにいろいろと考えることが増えました。

信心してたら今は冬でもいつか春が来るんだと思っていたら、冬や春は自分を取り巻く環境のことではなく、自分自身のことなんだと結論がでました。

世間的な幸せというのは、お金があったらとか、顔が・スタイルが良かったらとか、健康だったらとか、時間があったらとか、子供が・家族がいたらとか、悩みが解決したらとか、とかく環境に左右される。顔や健康はどうだろう。自分自身のことのようだけど、観心の本尊、己心の法門ということから、体や頭(精神)も環境なんじゃなかろうか。

でもって、これは成仏観にもつながるなと。いまだに成仏というのは、極楽世界に生まれ変わる、天国に生まれ変わることのような錯覚をしていた。自分というものを置き去りにして、成仏を求めていた。環境が変わることが成仏だと錯覚してた。自分自身が春になることが大事なんだ。

と思っていたら、Blogの「乞食信心」で初代講頭が「当位即妙・不改本位」の話をされていました。。

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大聖人は天台の御文を引いておっしゃっている。当位即妙・不改本位。置かれているそのままの姿、立場。それが即妙。不可思議の一法。すなわち妙法蓮華経。ところがあなた方の話を聞きよったら、姿を変えんことにはいかんようになってるのよ。姿を変えるんじゃない。当位即妙なんだよ。今のありようそのままで成道を遂げていかなかったら成仏できんのじゃ。

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困った。冬のままでも成道が遂げられるのだろうかと一瞬思いましたが、姿を変えるとは環境のこと。冬が春になるとは自分自身のこと。己心のこと。よって、(見える)姿かたち、環境を変えるのではなく、(見えない)己心は冬ではなく春になっている必要はあるんだろうなと結論。

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