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日蓮大聖人の仏法を考える
Sunday, March 2, 2025
病気
夜中に寝返りを打った途端、めまいに襲われた。目を閉じているのに目が回る。目を開けてみると視点が定まらない。よろよろと起き上がると壁伝いに何とか歩ける。隣の部屋まで歩いたが、もう無理。吐き気もする。正座して上半身は突っ伏して、「わしはもうダメじゃ」状態。「しっかりしておじいちゃん(by鈴木彩子)」という声は聞こえなかった。。
このとき何を思っていたか。これじゃ車の運転もできない。仕事も行けない。そもそも仕事はできるのか。いやいや、こんな状態じゃ外に出られない。治らないものか。そうだ、お題目だ。と、お題目を心に念じた。。←これでいいのかと疑問に思ったので御書にあたった。
病によりて道心はをこり候なり。妙心尼御前御返事ですね。
この中で大聖人は、謗法をおもき病と規定している。
このなが病にしづみ日日夜夜に道心ひまなし、今生につくりをかせ給ひし小罪はすでにきへ候いぬらん、謗法の大悪は又法華経に帰しぬるゆへに・きへさせ給うべし
どうも大聖人は、病気よりも謗法に焦点を当てているようです。
困ったときの神頼みの信心でいいのかどうか。ダメだということは分かっていても、本当に身体の自由が利かないとき、誰かに何とかしてほしいという自分がいるのも事実。
非常時には仕方がないという結論に。平常時からそれでは困りますが。。
そして、健康なときには分からなかったけど、病気の人には優しくしようと誓いました。
(めまいは一過性のものでした。やれやれ。。)
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