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一期弘法付嘱書

さて、顕正会にいた当時、水戸黄門よろしく葵の御紋のように扱われていた二箇相承ですが、そのひとつが一期弘法付属書ですね。

「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
     弘安五年 九月  日
                          日蓮 在御判
                     血脈の次第 日蓮 日興」

以上、冨士大石寺顕正会のサイトから引用。

こんな文書が残っているのになぜ日蓮系統の宗団は日興門流を中心にまとまらないのか、不思議に思ったものですが。。

真跡は残っていないそうです。

日興上人の原殿御返事に

「身延沢を罷り出で候事面目なさ本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し打ち還し案じ候えばいずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ、詮にて候え。」

とありますが、一期弘法付属書を頂いているのなら富士方面で頑張りますと書かれても良さそうなものですが。。

 

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阡陌陟記には以下のようにあります。念のため。​

原殿書 (P387)
原殿御返事、正応元年日興上人四十三歳の作とされているが真疑については種々異見あり。正宗聖典五五七にあり。

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