日蓮大聖人の仏法を考える
NOW 2025
顕正会
今や、冨士大石寺顕正会ですか。
自分が所属していたころは、日蓮正宗顕正会でした。
やってることは当時と変わらないけれど。。
顕正会は日蓮大聖人を、釈尊(ブッダ)を超える「スーパー御本仏」と捉えているのではないでしょうか。
顕正会ウェブサイトには、「日蓮大聖人は、末法濁悪の人と国を、根底からお救い下さる大慈大悲・絶大威徳の御本仏であられます。」とあります。
地球人にとって超人は釈尊だけで十分でしょう。
「何を言ってるんだ。時代は末法だから釈尊ではダメなんだよ。」
同感です。
大聖人晩年の諫暁八幡抄に、
今の三大師の教化に随いて日本国四十九億九万四千八百二十八人或は云く日本紀に行基の人数に云く男女四十五億八万九千六百五十九人云云の一切衆生又四十九億等の人人四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば其の後他方世界よりは生れて又死して無間地獄に堕ちぬ、かくのごとく堕つる者は大地微塵よりも多し此れ皆三大師の科ぞかし、此れを日蓮此に大に見ながらいつわりをろかにして申さずば倶に堕地獄の者となつて一分の科なき身が十方の大阿鼻獄を経めぐるべしいかでか身命をすててよばわらざるべき涅槃経に云く「一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」等云云、日蓮云く一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし。
とあります。
この御文から、我こそ「スーパー如来」であるとの宣言は見えてきません。
それどころか、「倶に堕地獄の者となつて」、「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦」とあり、迷いの衆生の立場で語られています。
みなさんは、日蓮大聖人と釈尊をどういう関係だと思っているのでしょうか。
釈尊の上に日蓮大聖人がいてと考えだすと、その上の存在が現れてもおかしくないでしょう。
ドラゴンボールみたいに。
スーパーサイヤ人は3やら4やら、界王よりも偉い界王神やら全王やら次々に現れます。
日蓮大聖人は仏の中の仏、最高の仏様だ!という捉え方では釈尊の立つ瀬がありません。
日蓮大聖人は一切衆生の側に立つ、凡夫の仏様だというのが末法の御本仏ということでしょう。
また、「諌暁八幡抄」でインターネット検索すると、大石寺の諌暁八幡抄のページが引っかかります。
その「対告衆」の欄に「大聖人様の久遠の本地を密意に示された御抄」とあります。
久遠の本地とは、素直に読むと凡夫のことだと思いますけど。
大石寺は凡夫と解釈しているのでしょうか。
それともスーパー御本仏と判断しているのでしょうか。
後者のような気がします。。
密意なんて言葉で、読むほうが勝手な解釈をすると書いたほうは迷惑でしょう。
さて、顕正会サイトには会員数の推移も掲載されています。
おそらく自分も会員にカウントされたままだと思いますが、はるか遠い将来、顕正会員は地球の人口を超えるのではないかと予想します。どっとはらい。
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・本仏の守護もなく、口舌の徒となって1か月。顕正会・浅井さんに、今の心境を聞いてみたい
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追記
どうも不勉強で。。すでに寺報に道場ということで、これでもかと書かれていました。難しいところはとばしてしまうもので。。
達師は、当宗の宗旨の上から、久遠元初には本因妙の宗祖だけであって、余仏は存在しないことを説かれた。
釈尊が久遠に成道を遂げられたその道場に釈尊(本果一番目に成道を遂げられた仏)に対する衆生として(本因)の立場で、南無妙法蓮華経と合掌している。
宗祖(衆生)の側にたてば戒壇の本尊であります。
それは何時いかなる時も何なる処であっても、合掌して南無妙法蓮華経と唱えるところは元初の道場であり、戒壇の本尊であるというのであります。