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不信

  • kisuke1965
  • 2021年3月6日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年3月10日

初代講頭座談会 2006年3月6日


本当に果報のない者は、この信心から退(の)いて(離れて)いく。寛尊の御指南によると、一切の事柄は不信から始まるといわれている。みんなはまだそれに気が付いていない。自分が信じているつもりだから。グチグチ言っていることが不信からきていることに。自分の法性。自分の命が、南無妙法蓮華経だと気が付いたならば、なにもビクビクすることはない。どんな状況に置かれても不信を起こす理由がない。本当に妙法蓮華経の素晴らしさが分かったら、宇宙森羅三千、全部妙法蓮華経なりと気が付いてきた。困ったときには流れに任せればいい。流れに任せると必ず成就している。流れに逆らって立ち向かって、こりゃいかんこりゃいかんとやっているときは失敗してるの。。時が来てないときは流れに任せるの。どこまで行くか流れてみる。流れていく中に時を得る。ちゃんと止まる。で、回転しながら上に上がっていく。下がって、ジワーっと上がっていく。


中略(顕正会を抜けたとき、初代講頭に騙されたといって去っていった人達のことなど)


「還著於本人」とて我に返る。うかつに人のことを口にしてはいけない。その人の生業、姿、決して口にすられんで。どえらい目に合うで。言うたら。「みだりに他人を憎みて、謗法の罪名を被らしむるは、若実若不実、かえってその重罪を我が身に招く。恐るべし」

 
 
 

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