日蓮大聖人の仏法を考える
Sunday, March 2, 2025
考える
なぜこのサイトのタイトルが「考える」になったのか。
つらつら考えるに、創価学会員が御僧侶のもとにやってきて組織の見解をそのまま話す。もっと自分の頭で考えようよ、というエピソードからきたのだった。
2020年5月はよく考えた。考えすぎてバカになった。。
組織について。成仏について。
ネタとしては宗教法人正信会のサイト、たより第65号 化城喩品第七、法華ごころP120 性悪の法門。
たよりには、「大通智勝仏は、心の内の魔軍を破り終わったのに、どういう訳か、仏の悟りを得ることができなかった。」「自分達だけが救われ、それ以外の者は救われない。」「大聖人の信仰世界は、誰一人として捨てられることのない、皆んなが成道を遂げていく一切衆生皆成仏道の世界。」
法華ごころには、「現実世界には絶対的存在などありはしない。完全無欠などということもありえない。無始以来善と悪は個々にも、そして、集団にも備わっているという、当たり前の事が前提となって、成仏や寂光土は考えられなければならないのである。」
「一切衆生皆成仏道の世界」なのに、所属する組織によって、みなさんアウトですよ、成仏できませんよ、という考えは成仏の因にならないのかも。
また、所属する組織の言うとおりに信心するのでは、「善と悪は個々にも集団にも備わっている」という前提に引っかかる。
それにしても所属する組織の正当性をこれでもかと書きまくって、他の組織をボロクソにけなしているのをネットでよく見かける。問われるべきは自分の信心であって、組織は二の次だと思うが。よっぽど自分に自信がないから、組織を盾にして安心しているんだろうと思ってしまう。
組織は信心のための方便であって、拠り所ではない。組織が本尊になってないですか。臨終に組織が役に立つでしょうか。葬式には役立つけど。。
組織の正しさを声高に叫ぶよりも、自分の信心がどうなっているかを静かに考えよう。
聞いて、考えて、思いが変わる、行動が変わる。
うーん。うまく結論が出ないけど。。
バカになってるのでしょうがないじゃない。
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テレビでカンブリア宮殿を見ていたら「お菓子の皆様、おはようございます。今日も一日よろしくお願いします。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。」と売り物のお菓子に向かって会長が頭を下げていた。
「初代講頭の伝言」にあるけど「このプリントでさえも一つの生命と見たならば、物は言わんけれど大事に扱っているときはお礼を言うはずだが。このプリントで自分の仏道修行ができると思えば、何でもないではない」。
物にお礼を言っている人を初めて見た。これは、本当にお礼を言ってみようと思った。手始めにお札にお礼を言ってみた。福沢諭吉が二人に!なるわけもなく。。もっとよく考えてみよう。
いや、ホントもう、馬鹿になっているから。。