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人を呪わば穴二つ

アニメが好きで新しく始まるとチェックします。今の推しは岡山を舞台にした「推し武道」ですが、これが面白いのなんの。閑話休題。。

「宝石商リチャード氏の謎鑑定」という作品で、久しぶりに「人を呪わば穴二つ」という言葉を聞きました。仏法的には、人を呪った時点で、あなたはもう地獄に落ちているんですよということでしょう。

宗祖は迫害されたときに、人を呪ったのでしょうか。日蓮大聖人と申し上げる以上、そこにあるのは大慈大悲です。

法華ごころP12には、「大聖人も、松葉ケ谷のご草庵をおそわれ、少輔房に法華経第五の巻で額をさんざんに打たれた時に、凡夫故に情けなくくやしく思ったと告白されている。そのくやしさの中で、敢然と少輔房こそ自分を育てる善知識だと言い切られたのである。」とあります。

また、寺報には「もしもある人が地獄に堕ちたと思うならば、その人を成仏させるのは、私(御僧侶)の責任である」とあります。

宗創戦争が始まったとき、仲良しだったはずなのにと不思議に思いましたが。

寺報では日達上人は、昭和52年1月池田氏の「仏教史観を語る」に対して「取りあえずは静観する。寺としては、参詣に来られる人を大切にし、信仰を進め、法門を説いていってもらいたい。腹を立てないように、将来決別することになるかもしれぬが」と穏便に済まされようとしたようです。また、「顕正会の問題の時にも、東京に何度か足をはこばれておられます。日達上人は「唯我一人能爲救護」を生きられようとされた」とあります。

日蓮正宗や大石寺が消された創価学会のサイトを見るにつけ無慚無愧という言葉が蘇ります。会員には折伏だ折伏だと煽っておいて、組織としては相手の無視を決め込む。大慈大悲でしょうか。今の大石寺も似たようなものかと。誰かを呪うような信仰では誰も救うことはできないでしょう。

大慈大悲は仏の専売特許かもしれませんが、我々の日常生活の言動にもそれが裏打ちされて出てこなければウソでしょう。写真は日達上人の大願ですが、大願は何でしょう。衆生無辺誓願度かなとも思いますが、今日のところは「みんな仲良くやれよ」と訳しておきます。

一人の英雄も望まず、皆宗門の礎となれ。

大願.jpg
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