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信仰をするには

お近くの正信会のお寺にご相談ください。 (と言いたいところですが、正信会は任意団体と宗教法人に分かれました) 

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経験上、顕正会はお勧めしません。折伏折伏で生活が破綻します。信心どころではありません。

大石寺も創価学会も同じような。。

諫暁八幡抄は、「末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ」と結ばれていますが、人集め金集めに奔走し結果を追い求める姿が不軽菩薩の利益でしょうか。

では、正信会はというと。上記のとおりですが、任意団体正信会と宗教法人正信会の違いは何か。正直よく分かりません

 

(↑これについては以下のように結論しました。宗教法人正信会は本尊に迷っている。弘安二年十月十二日の「日興が身に宛て給わった、御本尊」を根本尊敬するのは任意団体正信会の御僧侶です。大石寺、創価学会、顕正会、宗教法人正信会の本尊、根本尊敬するものは何なのかは各自でお調べください。日興が身に宛て給わった、御本尊の中身が大事なことで、どの御本尊(曼荼羅)だろうとキョロキョロするのは違います。物体ではありません。何を根本尊敬して生きるのかという話です)

まずは、宗教法人正信会の「妙風52号」の主張。(ただし任意団体正信会の寺報に引用されたもの)

「御本尊に『書写之』とある『之』とは戒壇の大御本尊のことである」というのは、戒壇の御本尊がすべての御本尊の根源とする後人のこじつけであろう。

こういうことを言うとすぐ「戒壇の御本尊を否定した」「慢心者だ」とレッテル貼りをしたり、排除しようと企む。まるで阿部宗門が正信会に対して採ってきた態度と同じである。

そして、任意団体正信会(お世話になってる御僧侶以外の方)による宗教法人正信会の批判です。(要約)

歴代の貫主はこの戒壇の御本尊を「書写之」として御本尊を認めてこられた。この「之」とは戒壇の御本尊であると同時に書写された御本尊そのもの。

ところが宗教法人正信会はおかしなことを言いだした。「『書写之』の『之』とは、書写された御本尊そのものを指すと考えるのが自然であって、戒壇の大御本尊を指すとするのは牽強付会の説だと思う。」「日興上人には戒壇の御本尊を書写するという御意識も事実もなかったようだ。」と。

では、「之」は置き、「書写」と認めてあるのはいずれの御本尊を元にして書き写されたのであろうか。

それぞれの主張の一部を切り取ったので、余計訳が分かりません。。ズバリまとめることができる日が来ることを祈ります。←他人事か。

まあ、お世話になっている御僧侶が宗教法人側の信徒の方と話し合って、そのとき言われたのは「解りました、教義ではなく、あなた方の中のどなたかが嫌いなんだ」ということだそうです。

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古川興道氏の著作「日蓮正宗 正信会の正当」P96には、「法人派の方達は戒壇の御本尊に疑問を持っているようですし、もう総本山大石寺に帰る気持ちもないようであります。」とのこと。

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感想。

宗教法人正信会からは、心地よいものを感じないんですよ。(妙風新聞は顕正新聞と同じ匂いがする)

サイトは充実している割には。。熱原についてほとんど触れてない。宗祖が聖人御難事に記した「出世の本懐」とはなんでしょう?会ったこともない熱原の衆が南無妙法蓮華経と唱えて難にあっている。報恩抄の「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」の確信を得たことが「出世の本懐」ではないでしょうか。崇峻天皇御書にもある「出世の本懐」。同御書では「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」とある。

宗祖は熱原の三人衆が首を切られるときに、上野殿御返事(竜門御書)の「法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」」という南無妙法蓮華経を、手を合わせて(不軽菩薩が人を敬うように)唱えたと受け止めたはずです。こんな大事なことに触れないで祖道の恢復はありえないと考えますが。いかがでしょう。

結局、金銭的なことや仲良しグループでやりたいがための宗教法人正信会だと思います。金銭と怨嫉を柱にしても。。付き合わされる在家はいい迷惑です。

人の振舞として反省すべき点はなかったか。正信会の僧侶はどっちも自省すべきでしょう。在家は置いてけぼり。(まあ、正信会は僧侶の団体かもね。将来、在家集団ができたりして。「統一正信学会」とでも名付けましょうか)

なお、任意団体正信会のサイトは死んでます。閉鎖しろと念じてるんですが。。どうも念力はなさそうです。(←念力はかなったようですね)

 

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寺報2015年8月(八月十五日)には概略こうあります。元々は法人の会則と任意団体の会則との整合性をつける問題だった。ところが岡田議長は会費や基本金等の会合ばかりを一年以上したため話し合いの場を設けた。中立的な立場で監正会長も出席。教義論争になりかけて紛糾。監正会長が「先の監正会の答申は、委員会で会則の整合性をつけてくださいということ。岡田さん未だに着手されないのはいかなる理由ですか」と質問したら話し合いは中止となった。法人側は、名義だけ貸してほしいと言っていた預金を横領して出て行った。

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以下、川澄勲氏の著作より引用します。

大石寺法門(2)(川澄勲法門研究会補考サイトの川澄論文全部より) 

本尊も本果と決めてみても、素直には収まりにくい。未だに本因に立てられたものが強く働いているために、ここにも何か割り切れないものは依然として残されているのである。何れに定めるか、このまま押し通すか、これは意外に厄介な問題のように思われる。宗門側によるか正信会によるか、或は極く小人数によるか、誰かが本因の本尊を守りながら時のくるのを待たなければならないのではなかろうか。現状では、宗門にも正信会にもそのようなものがあるようには思われない。そこを一縷の夢に托して主師親の三徳を取り上げているのであるが、宗門の風あたりは、親の仇に対するよりも強いようである。 

大石寺法門と日蓮正宗伝統法義より

宗門側にも正信会側にも共々に本尊や本仏を見直してもらいたい。擯出し擯出されても本尊観や広宣流布観は一向に変りはないのであるから、郷愁が起っても不思議はない。むしろ争いが起きている方が不思議な位である。同じ本尊観の中で、どこまで争いが続けられるのであろうか。現状では本尊を格護している側に絶対的な強みがあるのは自明の理である。 或る意味では正信会も大きな岐路に立っているといわなければならない。そのための資料になれば幸いである。護法局の発足と時を同じうして山田論文が発表された陰には、何程かの意図があるのかもしれない。水島さんも早くカッコを除いてもらって、師匠ゆずりの名前が使えるような身分になってもらいたい。カッコ水島ではあまりカッコが好いとはいえない。川 澄   勲 

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ついでにと言ってはあれですが。。

寺報2018年5月(戒壇のこと)

近頃数年前まで私たちと同じ信仰をしていたはずであった人たちが本尊を否定したり、宗祖の「出世の本懐は戒壇の大御本尊の建立」というのは、「後人の忖度であり、どこの宗派でも伝説はあるものだから、伝説は伝説として大切にすればよいと思うのだが。」と伝承であったと、述べる人たちがでています。伝説は伝説と言うことは、この人たちはどのような信仰を保っているのでしょう?

​この人達が僧侶であるとすれば、どのような思いで受戒し、どのような信仰を持って、葬儀をおこなっているのでしょう?

↑私に、端的に。日蓮正宗の宗旨の根幹は、戒壇の大御本尊でしょ。それをたもっていない僧侶ってどうなの?ということだと思います。恥ずべし、恐るべし。だと思います。

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