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​日本国憲法前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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今回(2016年)の参議院選挙では改憲派が多数を占めるという結果でした。まあ実際に憲法が改正されるとは思ってもいませんが。。なかなかハードルは高いと思います。ちなみに自分は護憲派です。

憲法改正となると注目されるのが憲法の前文と第9条ということになります。前文の精神は、戦争は二度と起こしてはならない、信頼の世界を築くことこそが平和への唯一の道だ、ということでしょう。

これに対して改憲派は、理想論だ、防衛力がなくて平和が保てるのか、とくるわけです。

防衛力がなくていいとは思いませんが、いまの自衛隊は、活動範囲は日本国内に限定すべきだし、戦力も減らす。自分が考える国防とは国民によるゲリラ戦です。日本の各地にゲリラ戦を行える武器を備蓄しておき、いざというときは闘うぞという準備をしておく。日本を占領しようという勢力にはこれで対抗する。これはもちろん、軍隊を創設して後は任せたというような人たちに対する提言でもある。軍隊が必要だというなら自分も国防の一翼を担えよということ。

次に日本を破壊するという意図であれば、これは軍隊が存在しても防ぎようがない。諦めます。大陸間弾道ミサイルが飛んできたり、潜水艦からミサイルが原発に撃ち込まれたりと、お手上げです。こうならないための外交だと思います。

前文の最後はこう結ばれます。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
自ら理想と謳っているわけですが、この崇高な理想に殉じる覚悟があるのか。護憲派は試されているのです。信頼の世界が築けなかったとき滅びる覚悟はあるのか。護憲派は改憲派よりも厳しく問われているのです。ゲリラ戦云々と書きましたが、殺すか殺されるかという状況になったとき護憲派には殺す選択はないのです。

国が滅びたらダメじゃないかという意見もあるでしょうが、国が滅んだらまた建国すればいいんです。人は死んだらよみがえらないけどね。

また前文は信仰と似ています。前文が信じられる人はその世界を現実のものにしようとする。信じられない人は信じないと。

「法華ごころ 山上弘道著 興風談所発行」より引用。
~そして、大聖人は着飾りもせず、はったりもみせず、淡々としかし力強く生涯語り続けられた。「人が幸せになる道は、利根や通力ではない。信の一字----お互いボンクラ同志であるけれども、共に妙法の当体であることを信じ合い、強い信頼を築くことである」と。~

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追記。

2022年。ロシアがウクライナに侵攻して、またこのページを読み返すことになりました。書いたことを修正する気はないですが、現実に襲われたとしたら、侵略者と戦うかもしれんなあと正直思いました。衝撃を受けました。いま5月ですが、199グラムのドローン買って飛ばしています。そもそもは、退職したら農薬散布などドローンを使ったアルバイトの口があるかもと思ってだけど。。

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