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広告紙の裏

広告紙の裏に書きなぐったのが出てきたので。。(もとネタは初代講頭でしょう)

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広宣流布

戒定恵が登場すると即刻世間の中に入って、法華経としての固有の姿が失われ、世間の法を主体とした中に、己心の一念三千(南無妙法蓮華経)を見る。本仏・本尊を見いだすことができる。それが広宣流布の定義。

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南無妙法蓮華経と唱え日常の生活を始める。←信心信心と言いまわる必要はない。信心している姿が本人の姿に現れないといけない。

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川澄勲

日蓮には一見強く法華経を説き、広宣流布を願っているように見えるし、自らも法華経の行者と名のっている。いかにもそれは狂信的なものに受けとめられやすいが、それをそのまま文上に受けとめるなら、いかにも其の通りであるが、そこに、戒定恵が登場すると、法華は即刻世間の中に入って、法華経としての固有の姿が失われ、世間の法を主とした中に隠れてしまう。それが仏法である。

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しょっちゅう口舌をいい、しょっちゅう愚痴をこぼし、何かとしたならば不足を言う、のならば御本尊様を信じている姿じゃないやろ。

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59世日亨上人は「日常の生活を心がけなくんば、信心するとも無益なり」

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本筋を見いだして枝葉末節にこだわらない。

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智惠は振舞い。

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失敗を恐れると成功はない。

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