日蓮大聖人の仏法を考える
Sunday, March 2, 2025
折伏とは
無理やりでも組織に入れること?相手を破折して帰伏せしめること?相手の主張には耳をふさいで自分の主張を通すこと?
以下、川澄勲氏の著作より引用します。
折伏 (阡陌陟記P20)
不軽菩薩の行を行ずること。相手方を主役と立て自他彼此の差別の無い己心の本尊を確認する行を言う。
化儀の折伏 (阡陌陟記P41)
要法寺日辰師の説。創価学会が折伏基盤に置いた言葉。「日蓮正宗教学小辞典」参照。
阡陌陟記P41
本尊抄文段に「今望化儀折伏以法体折伏仍名摂受也」とある。これは本尊抄の「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って云云」の文に対する解説であるが、これは寛師の考えではない。他門の人師の本尊抄の注釈である。この説に対して寛師は「或復兼判順縁広布時歟云云」と注し、これが誰かわからないが、化儀の折伏・法体の折伏即ち摂受に対する寛師の解釈である。
ここに云う「順縁広布の時」とは所謂釈尊仏教の事を意味している。つまり釈尊仏教の摂折の考え方でいけば宗祖の法体の折伏も摂受であるという意味である。しかし当家は法門を逆縁の広布に立てている事を知らなければならない。ただ逆縁の時の折伏のあり方については寛師はここでは何も云われていない。しかしともかく化儀の折伏に望んで宗祖の折伏は摂受であるとする説に対しては、それは釈尊仏教の話であると一蹴された事は文章からいって確かである。ところが創価学会では、この何れの師ともわからない説を寛師の説と勘違いして、ここに学会の折伏基盤をおいて、学会こそが化儀の折伏を現じているとしているのであるが、いかにも学会らしい初歩的なミスである。
さて末法の折伏のあり方とは不軽菩薩の行をする事である。この修行のしかたに二がある。即ち師の修行と弟子の修行である。順逆で云えば師は順、弟子は逆である。師の折伏とは宗祖の一代の行であり、安国論を以てその代表とすべきものである。この師の折伏、安国論の姿勢をそのまま弟子が行ずるという事になると、師弟の混乱であり、時節の混乱という事になる。
師とは修行の備わったことを意味し、弟子は未修行である。未修行の弟子が師と同じ折伏をする時、師弟の混乱が始まる。全く僭越であるといわざるをえない。未修行のものが師を称する事は、理即の凡夫が仏を称するのと同じである。師弟子の道をただす、これが当家の法門である。
寛師の文段抄における弟子のあり方は、折伏即ち宗祖の安国論を自己に向け、修行を積む事によって徳を備え、その徳によって他を教化する事を示している。無言の徳を以て折伏する、これが弟子の最高の折伏である。したがって己心に折伏を行じ、外相は徳を以て教化即ち一往摂受の形をとるのである。ここに云う摂受とは世間に迎合する事ではない、折伏の上の摂受である。ここに摂折同時の化他が示されるのである。
文段抄の構成の上に於いて、弟子は師の安国論を己心に受けとめ、鎌倉当時の師の修行を今日の弟子の修行の糧とする事を明かしているのであるが、ここに文字だけを追えば単なる御書の解説書としてしか見れない文段抄の読み方の重要性がある。寛師法門の深さの一端を知る事ができる。
ともかく弟子が誤って師の修行を取れば、結果は当然下剋上という事になる。本尊抄文段を我田引水ではなく、素直に読み、寛師の判定の意味をよく理解せねばならない。この数行についての寛師の判断はわずか数字である。ここに勘違いした理由があるのであろうが、全てを寛師の文とすれば、道が自ら曲がるのは当然である。文の底に秘められた弟子の修行のあり方を引き出すための、準備をされたまでというのがこの数行の真意であろう。
文段抄であるが故に全部が寛師の文であり、意志であるとするのは、あまりにも幼稚な誤謬である。それにしても宗門でこのような初歩的なミスを野放しにしているのは、いったいどういう事であろう。まさか学会と同じ間違いをしているのではあるまい。
師弟子の混乱と時節が法門を狂わしめる元凶である。管長及び学会の暴走もここに尽きる。師弟子の法門とは、戒壇の本尊を中心として展開する法門、即ち第三の法門の謂である。因果倶時、師弟一箇の処を本尊というか。以 上
阡陌陟記P511
寛師が日辰を冷笑しているものを、寛師の直説と読みとって自宗の法門とした化儀の折伏・法体の折伏などもその好例である。いくら力を入れてみても所詮は辰説であることには変りはない。
大石寺法門P160
但し、化儀の折伏、法体の折伏は寛師の説でなかった事だけは忘れないようにしてもらいたい。これは寛師を誣(し)ゆるものである。折伏を推進せしめた根本は要法寺日辰教学による処、当然広宣流布もまたそこにあり、今また上代からの己心の広宣流布を振り切って、日辰教学による折伏と広宣流布に踏み出そうとしているのである。
大石寺法門P232
化儀の折伏、法体の折伏も辰師のものを寛師のものと読み誤ったもの、今後の広宣流布も日辰流に名案があるかもしれない。宗を挙げて日辰研究を始めるのも亦一つの方法である。また寛師のものと読んで化儀の折伏、法体の折伏に出るのであろうか。肝心の大石寺法門は何一つない出船である。筆者はこれを無謀と称したい。
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・初代講頭座談会(2006年9月16日)
仏法とは生活法なんですよ。ご家庭の中で信心のことでもめることがあったら、その信心は誤っているんですよ。ご家庭で決して信心のことでもめてはいけない。自分のやるべきことを捨ててしもうて、信心だ信心だと走り回ってはいけない。それは僧侶のすることであってね。在家の我々がするべきことではない。ビシッと足を大地につけて自分の生活を見ながらなにをせないかんのか、どうせないかんのかを習っていくのが仏法なんですよ。よく信心信心いうて、主人が拝まんから子供がどうこうだから、(信心しなさい)言うたらケンカになりましてと。魔の所為でしょうかと問い合わせがあるが。魔の所為なんて自分の疑心暗鬼からきてるから。魔障なんてありませんから。自分自体の命の働きが魔障になっていますから。それを克服するのが折伏だから。日寛上人の六巻抄には折伏は自分に向けるもので外に向けるものではないとある。全部自分に向けなければいけない。御本尊のすごさを忘れて、仕事に悩んで、自分がオロオロしているときはどういう状況に落ち込むのか。病気で医者からなんともならんと言われた時に地獄の境涯に落ち込んでいる。そういう時に折伏を自分に向けとらないかん。ところが、いつから誤ったかしらんが全部外へ向いてしまった。それをするのは日蓮大聖人ただお一人だけなんだ。在家の我々は真似をしてはいけない。混乱して滅茶苦茶になる。自分の生活を真剣に考えて、自分のありようがどうなっているのかを考え、そして自分の姿を見せて。この妙法蓮華経で成道をとげるということはどういうことかを見せていく。それが折伏なんだと寛尊は説かれている。
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法華ごころP28には、京都で教義を改変し権力に妥協して隆盛をほこる要法寺日辰が、大石寺十二世日院上人に通用をはかってきたのに対し、「縦ひ此の如くに山林に斗藪し万人に対せずとも、義理に違背これ無くんば折伏の題目となり、晋く諸人に対する談義なれども、広の修行は摂受の行相となるべきか。是則ち大聖の仰せ云云」と、毅然と日辰の非を諭された。とあります。
追加
寺報2011年5月(よろしくお願い)によると、「三聖の御内証に違背なく」「同文」。日尊門流の要法寺日辰がお寺の本堂の本尊を、曼荼羅から仏像に変えて信徒が増えたと誇り、大石寺に要法寺の傘下に入るよう言ってきた時、その誤りを指摘した「日辰御報」だそうです。
こうなると「折伏弘通」って、変な造語だと思うけど。今は折伏といえば自分のところの信者や会員を増やすこと、かな。
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折伏折伏というと組織のエライさんが信者や会員に訴えて。その信者さんが未加入の人を勧誘に行くイメージですが。エライさんはなぜやらないのか。仲間をあおるんじゃなくて、自分で突撃しろよと思う。日蓮宗も念仏も禅も真言も放ったらかしでおかしいでしょ。黙ってないでたまにはエライさんをあおってみるのも楽しいものですよ。
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顕正会のいう広宣流布や折伏は入会届の枚数ですか?組織が会員をあおるために入会届が利用されていると気が付かなければいけません。本当にご苦労な話です。会の運営は会長の思うがまま。会員が関与できないのであれば中国やロシア、北朝鮮といっしょ。仲好子好。