日蓮大聖人の仏法を考える
Sunday, March 2, 2025
信仰は遺伝子を超えるか
「言ってはいけない 残酷すぎる真実」 橘玲(たちばなあきら)著 新潮社発行 を読んだ。
最後のほうの章で、子どもはなぜ親のいうことをきかないのかとして、アメリカのジュディス・リッチ・ハリスの説を紹介している。
「わたし」とは「遺伝」と「環境」だが、この「環境」は子どもにとって「家庭環境」よりも「友だちの世界」の影響が大きいと説く。たとえば移民の子は家庭で親から母国語で話しかけられてもアメリカでは英語、日本では日本語で返すようになる。「友だちの世界」で生きていくためには友だちが話す言語が第一になるからだ。
ハリスは子育て神話を、「科学的根拠のないイデオロギー」として切って捨てる。人の親としてはガックリする結論だ。
また、どんな友だちグループにも内(俺たち)と外(奴ら)の境界があり、仲間か仲間でないかが決められていく。最後の章では1954年にオクラホマ大学が行った(刺激的な結果に終わった)子どもたちを2グループに分けた実験も掲載されているが、ここでは割愛する。
この本を読んだ感想としては、人間のグループへの仲間意識、帰属意識というものは、その集団や地域、国で生きていくために必要なもので、それは遺伝子あるいは本能が求めるもので、内と外を分ける壁を作るのは人間の性として決定づけられたものだということ。
しかし、菩薩の「衆生無辺誓願度」や日蓮正宗の「乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光」という願いは壁を越える必要がある。壁のない世界を現実に求める必要がある。なにか「新世紀エヴァンゲリオン」の「人類補完計画」のようですが。。
一つの世界というと、とかく理想論として頭の中で終わってしまうものですが、信仰は実践です。遺伝子に逆らってでも身の回りから壁を取り除いていく生き方を選ばなくてはならないと思いました。