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日妙聖人と上野賢人

今回は、息抜き。想像の世界です。

なぜ乙御前母は佐渡へ向かったのか。

大事の法門を聴聞したかったのか。

日妙聖人御書には、法を求めるということがこれでもかと書かれているので、日蓮大聖人はそう理解していたのでしょう。

乙御前母の心中はどうだったのでしょう。

佐渡島に流された大聖人を訪れたらどんなにか驚くことだろう。いったいどんなお顔をされるだろう。ビックリした顔が見てみたい。

というイタズラ心が沸々とわいてきて、いてもたってもいられなくなり。。

それなのに聖人号までいただいて、恐縮です。てへぺろ☆(・ω<) by日妙

イタズラ心がきっかけという説に1ペリカ。

身延も訪れているようなので御法門聴聞が正解でしょうが、ビックリした顔が見たかったというのは心情としてあるのかなと。

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そして、南條時光。

上野殿御返事(竜門御書)を賜ったとき、どう思ったのでしょう。

上野聖人が上野賢人に書き直されているそうですが。。

ガッカリしたのか。

ニヤッと笑って、いやいや、ワシもまだまだよのう。

これからもしっかり頼むという、大聖人の激励を聞いたのかもしれません。

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追記。上野賢人について。

若い南条時光だから、聖人から賢人に書き換えたのかなと思っていたのですが。。リンク先のブログにも書いたとおり、宗祖日蓮大聖人は熱原法難において、何よりも熱原の衆、日興上人、日秀、日弁等を聖人と認めたため、今回上野殿はちょっと遠慮してもらって賢人にしたのかなあと。思います。

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