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正信会

自身の入信は昭和の終わり。

顕正会がきっかけ。

そして、会を追放された元支部長(初代講頭)に付いてったら、今の御僧侶のお世話になることに。。

大石寺と創価学会の仲違いを横目にしながら今日に至ると。

そういうわけで「正信覚醒運動」と言われてもピンときません。

また、御僧侶が(非常に)できた方で、大会に参加しろとか継命新聞購読しろとか、一切言われたことがありません。(ひょっとしたら、参加したいとか、購入したいと言ってくるのを待っているのかも。。法華ごころは勧められました。)

近年、正信会も会を割る動きがありました。

組織は人の集まりなので、ゴタゴタするのは当然だと思います。

大石寺が正しい、いや創価学会だ、顕正会だ、と喧しいことですが、組織が正しいということがあるのかどうか。

正信会には、正信を名乗る以上は正信たる者の振る舞い、言動を望みます。

正信覚醒の正信会では大げさ過ぎるような。。

正しい信心とはなにかを迷いながら志す者の集まりであってほしいと思います。

御僧侶の言葉に、

「日常生活の中で、内側(インサイド)に入る人を仲間、外側(アウトサイド)に入る人をよそ者と区別する。
信仰でも信じる人が内側で救われ、信じない人は外側で救われないと説く。
では、当宗の信仰はどうかというと、境目のないどこまでも続く青い空と一緒である。」とあります。

嗚呼、青い空になりたい。

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