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臨終

臨終といえば、妙法尼御前御返事でしょうか。

「先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」

 

有名です。

 

この御書を根拠に、臨終のときに色が黒いと地獄に落ちた。色が白いと成仏だ。と騒がしいことです。

 

しかしまあ、「金色になり候なり」と書かれているので、ゴールドになる必要があるのかなと。。

 

思うに、臨終の相とは、色が黒いとか白い、どういう亡くなり方をしたかではなく、その人がどう生きたかということではないでしょうか。

 

「先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」とは、みんな最後は死ぬんですよ。その生き方でいいんですかという、大聖人からの警告ともとれます。

 

この御書を拝読すると、臨終に焦点が当てられているようで、実は生き方が問題にされているのではないかと感じるのです。

​「法華経の御力にせめられて実語となり候」とありますが、これなんかも法華経的に生きようよと聞こえてきます。

身近なところではレジ袋やらストロー、見ないふりをしているところでは原発や貧困、外国人材(?)。労働者だよね。移民かも。

後のことは知らないよとばかりの政治や経済は御免こうむりたいものですが、さて自分に何ができるのか。。

寺報や法華ごころには社会的、政治的なこともたくさん取り上げられています。

 

今回は少しそのまねごとを。

テレビで忌野清志郎を見ながら。。

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