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熱原法難

熱原法難の際に法華講衆や大聖人はどう思っていたのか。

いまいち整理できずにいました。

それは、信徒が首を切られているにもかかわらず大聖人が悔んだり悲しんだりする様子がないからです。

今般、寺報を読んで腑に落ちました。

熱原の法華講衆の心中は察するしかありませんが。。

首を切られる者は、絶望したかもしれません。

切られなかった者は、安堵したかもしれません。

しかし、大聖人は「彼等御勘気を蒙るの時・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云」としています。

大聖人は熱原法難を、まったく法華経の世界で捉えていたと思います。

現実世界と法華経世界は一体だったのでしょう。

顔も知らない熱原の法華講衆が自分と同じように法華経を身読した、南無妙法蓮華経に生きた、成道を遂げた、ありがたいということ、かな。

大聖人自身は首を切られなかったが、信徒は首を切られた。

しかし、大聖人は開目抄で「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ」としているわけです。

自分の後に続く者が現れたと認識されたのでしょう。

 かれは人の上とこそ・みしかども今は我等がみにかかれり、願くは我が弟子等・大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云、恐恐謹言
 十一月六日 日蓮 花押
 上野賢人殿御返事
 此れはあつわらの事の・ありがたさに申す御返事なり

「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」が最後に書かれているので結論と思います。

熱原の法華講衆が南無妙法蓮華経と唱えて首を切られたことが、法華経のゆへに命をすてよ、だと思います。

ということは。一切衆生の成道とは、こういうことなんだ。これ以外に一切衆生が成仏する道はないんだ。首を切られる者が南無妙法蓮華経と唱え、首を切る者と共に成仏したんだ。ということでしょうか。

「我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」の「皆共」に首を切った側の平左衛門は入っていると思いますが。

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