逃げる教えじゃない
- kisuke1965
- 2023年4月8日
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初代講頭座談会 2006年4月3日
質問者 何か嫌なことがあったら、さっと、はねのける気持ちがあるんですが。他の人だったら悩むようなことでも、私ははねのけて自分に返るということがあるんですが。
それはねえ、姉さん。条件によります。自分が逃げてる場合があります。大聖人様の教えは逃げる教えじゃない。みんな逃げようとしている。逃げるとはどういうことか。自分の境涯が変わったら自分が変わると、こう思う。これは逃げてる人の考え方なの。自分の境涯が変わったらじゃないの。自分の境涯を変えるのは自分しかない。これが逃げた人じゃないの。自分の現在の境涯をよい境涯に変えようとしたら、まず自分自体が変わるしかないと、こう見たときは大聖人様の教えなの。でも、たいていの人は、こんな境涯だからこんなになって、こんな問題が起こって、境涯が悪いから自分がこんなになってると思ってしまう。謗法の人が月を見たら、あの月はきれいですね。桜を見たら桜がきれいですねと言う。大聖人様は違うと仰る。お月さん自体が自分でなけりゃいかん。桜の花そのものが自分でなけりゃいかん。これが大聖人様の教えなの。分かった?逃げちゃいかんで。
逃げんためには、そういうことがぶつかってきたときには、自分がどう対処できるか。できなければ題目しかない。ところが、その題目しかないという考えがいかんのだ。しかじゃないんだ。題目という、最高の解決方法があるんだ。目の前に。お題目が。ところが、みなさんの考えは題目しかないわねと、こうやっちゃう。これはどういうこと。妙法蓮華経を軽んじてる証拠なんです。
逃げるんじゃないですよ。問題があったら、一生懸命拝めば、こうなるかもしれない。これは逃げてる人。それをどう料理するかということがこちら側のありよう。逃げてしまうのはしやすいこと。創価学会や顕正会は逃げることを教えている。拝んでみなさい、功徳がでて、こうなるから。これは逃げることを教えている。別に浄土があると思っている。いいところがあると思っている。大聖人はそうじゃない。ここが霊山浄土ですよ。逃げる場所じゃない。今置かれている立場が幸せな境涯なんだ。そういうふうに自分が見ていかなければならない。逃げる場所はどこにもないの。今置かれている立場そのものが幸せな境涯なの。それを幸せと取ることができないのは自分の誤り。
質問者 一人で(べらべら)と質問して。。ありがとうございました。
本当にありがたいと思うのは、これから後だ。ここで話した。聞いたんだ今。でも実行してないじゃないか。これからあなたがどこまで実行できるかだよ。それによってはっきりと出るんだよ。現証が。
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