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喜びというもの

  • kisuke1965
  • 3月1日
  • 読了時間: 2分

2002年3月12日 初代講頭座談会より

喜びというものがあなたにあったなれば、そこにはいつも感謝の気持が湧くろう。親に対して。その感謝の気持が働いてるときには大聖人の加護はある。あなたに不平があり不満がありして、信心の話をやったち、何一つ、それはオカルトぢゃ。御本尊の話をし功徳の話をするときには自分自体に喜びがなけりゃいかん。教え聞かせてんじゃない。信心は。信心というのはね、ここでこうやって話をしてるけどもね。これはね、みなさん方がね、お家に帰ってから実行してもらわないかんことばっかし話ししてる。お家帰って実行も何もできなかったら来る必要ないが。ここへは。実行して、そして初めて大聖人の仏法てな、こんなもんだった。凄いなっちうことが言えなくちゃいかん。それは私達が証明せないかん。義務を持ってるから。この御本尊の凄さをね。妙法蓮華経の凄さを証明する一つの義務を持ってる。これを多宝如来という。証明する仏。多宝如来という。私達自体が証明しとらないかん。この南無妙法蓮華経は素晴らしいんですよ、ということ。この南無妙法蓮華経を正直にたもった人は、みんなこういう風な姿に変わるんですよ、と証明していかないかん。ところが証明一つもせん。南無妙法蓮華経となんぼ言うても、いつもキーキーキーキー言うて、いっつも喧嘩ばっかしして、いつも独りよがりのこと言うて、いつも人を責めて、やってるような人にどうして大聖人の功徳が出てくる?そうだろ。家庭においてや。それが。大変なことだろう。まず自分の家庭でそれをやってみる。毎日毎日。やることにおいて。喜びを持ちながら。今日も良かったね。良かったね。こういう事ができて良かったね、と言えれるかどうか。そういうことが言えたときには御本尊の功徳、妙法蓮華経の素晴らしさの話が出てくる。それは妙法蓮華経の功徳を讃嘆申し上げてることなんだ。大聖人は妙密上人に仰ってる。法華経の功徳を誉める者は功徳いよいよ色まさる。誉めるということは口先じゃない。自分自体の行為の中において、妙法蓮華経の功徳とはこういうものですよ、と見せていく。

 
 
 

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