求道心
- kisuke1965
- 2月1日
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更新日:2月1日
2009年2月24日 初代講頭座談会より
それぞれのいままでの御信心の上においての確認しおうてみよう。御信心どういうふうに捉えてどういうふうな感覚でいままで御信心してきたか。お互いがまた確認しおうて反省しおうてみたならばね、また一つ一段と違ったね御信心ができるんじゃないかな。そういうふうにねひとつ進めていこう。高知の方も久しぶりだから、こんな会合はね、高知はもうぜんぜんとってないから。お互いが発言しおうてやっていこう。さあ、どうぞ。
求道心という何があるね。これ寛尊のお言葉だけどね。御信心ていうのはね聞いただけではできないんだよな。本当の信心ていうものは求道心から起きてきてね。求道心のない人がなんぼ聞いてもね実はね信心はそれで終わっちまうんだよ。それは聞いただけで終わってんだよ。求道心がないから。求道心とは求める。自分が求めていく。求めて初めて分かっていく。求めなかったらわからないよ。なんぼ理屈の上でわかっても。実際はそれは絵に描いた餅だからね。自分がぶつかっていかなね。だからこの妙法蓮華経の妙味という。妙味。不思議な味わいちうのはね。自分がぶつかってね、もう手詰まりの状態の中で初めて気がつくよ。まだ皆さん方手詰まりの状態になってない場合があるんです。手詰まりっていうたら方法論がない話なんだ。まだ方法論を考えている間は余裕があるよ。しかしまあもういよいよとなったら方法論なんちゃない。例えば臨終のときだ。臨終正念迎えないかんときには手詰まりなんだ。どこにもない。例えばその本人がどうやったならば大聖人がおっしゃるような成道を遂げていけるか。これしかない。その時に初めて妙法蓮華経の味わいがわかる。それができたときには妙法とは不思議なんだなあと。本当にね成道を遂げたときにはね不思議なもんでね、あとはねよくいくしね。これ昔っからボクは言われてるんだよね。今回も亡くなられた方のあとをね、御信心に立った方のあとを見よるけどね。ハッキリその方、口にしたけどね。悪うならんよ言わはったです、言うたけどそのとおりぞね。こうこうだ、ちう話、聞いてボクもホッとしてる。何回も訪ねてくださってね。こうして話をしますがね、本当に幸せに行きよるいう話、聞きました。オーバーにとってもね本当だと思います。なぜなれば本人さんに暗さがないから。わかりますそれは。だから求道心という、これが大事な。求道心からことが始まってるんでね。だから聞くだけにおいては聞法。法を聞くだけではなにもならんけども。その法を聞くことによって自分の命から信心をせないかんなという思いになってきて、法を求めて動き始める。これが本物の信心。それが始まりなんだ信心の。ここへ出るかどうかが問題なんだ。ここへ行くまでたいてい皆さん、いろいろと小理屈いうんだ。それはなにか。煩悩障から始まるんだ。煩悩障で自分の生活の方程式の上から理屈ばっかしを言ってるんだ。けども法華経にはちゃーんとこの世の中の構成ちうのはこうですよって解き明かしてあるじゃないか。もうちゃーんと方便品の中にでとる。その姿はこうですよって。そして御住職がいっつも会うたんびに言う。僕達自体が別個のもんじゃない。宇宙法界のもんですよ。仲間だろうっていっつも言う。今回、微渧にもそういうことでてるでしょ。一緒なのよ。そういうことがわかってきたならば宇宙法界と一緒になればいいのよ。それが幸せで行く方法なんだよ。それを教えてくださっているのが大聖人様の仏法なんだよ。宗教宗教って特別なもんじゃない。生活の方程式をビシーっと表されとるのが仏法の大事なところなんだから。
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