迷いを断つ
- kisuke1965
- 2020年12月5日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年1月11日
2007年6月5日 初代講頭座談会より
夕べ遅くに、お子さんを連れたご婦人が訪ねてこられましてね。そして、いろいろと子供さんのことで話がでましてね。
その中に私はお母さんに、あなたは子供は産みっぱなしか。産みっぱなしにして子供の将来のことも考えんのか。ただ目先のことばっかしを言うて、子供の云々を言っているのか。子供は歳もいってないんだから、どうこう定まるものもないから、定まるものを教えてやるのはあなたしかなかろうが。お母さんの腹はどうなんだ。と突っ込んでみた。そしたら、私はーと迷うているから。おかしいじゃないかと。自分自体の一念心も定まっていないのに、御本尊に向かって御祈念する。何を御祈念するつもりだ?我がの一念心が定まって、こうすればこうするんだぞという一念心が定まって、間違うとってもええからというふうな腹ができて御本尊に、こうやっていきたいという思いを持って題目をあげるときは一念は通るろうけれども、自分自体がどっちもつかずという訳の分からんような状況で、なんとかなるろうという気持ちを持って子供ばっかしを叱ったて話になるわけなかろうがと注意した。そこで初めてお母さんも自分の考えが甘かったことに気が付いた。本当に子供を守るためだったら、自分が歳がいって死ぬるまで子供のことを面倒をみいちゅうて。そして子供が逆ろうてもかんまんきに(構わないから)、これはこうとピシッとしたことができなきゃダメじゃろうがいうて。
で、子供には子供に、涙をこぼして泣くときには親が生きとる間に泣け。死んでしもうて棺桶にすがってお母さんお母さんと泣いたち間に合わんぞ。涙は生きとる間にこぼすもんじゃ。生きとる間にお母さんのことを思い涙をこぼしながら面倒を見ていけ。それをやった時には親不孝の汚名は返上されるろう。そして大聖人様からよくやったとお褒めが出てくる。今までの行動を見てみ。自分が不幸になる行動をしたんと違うかと言うたら、黙ってしもうてハイちゅうて。全部逆ろうてやってきたちうて。本音吐いた。当り前じゃ。だがこれからじゃ。本当のことが分かったら、明日の朝からきちっとした勤行に立て。道は開くから案ずる必要はない。よう出てきた言うたら喜んで帰っちゃった。田舎の人ですけれどもね。一時間以上かかる遠くから、夜遅うに出てきたんじゃからなあ。ひとさんの大事な話をねえ、こうやって何したらいかんことやろうけれども。
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勝手に掲載していかんやろうけれども。。子として親として、いろいろと思うところのある話でした。
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