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病気を治す

  • kisuke1965
  • 2023年4月15日
  • 読了時間: 2分

初代講頭座談会 2007年4月2日


法句経に「愚かな者とは旅をすることなかれ」とある。愚かな者と3日旅をすると自分も愚かになっている。愚かな者とは原因と結果の法則が分からない人をいう。賢い人は原因と結果を知っている。病気になるのは原因がある。その原因を追求しようとするのが医者。ところが病気を治すのは本人なの。病んでる自分が病気を治す。薬じゃ治らん。抑え込んでるだけ。本当に治すのは自分自身。錯覚を起こして薬が治してくれると思っている。そこに原因結果の法則を破ってしまう。その病気を治すのは自分自体の金剛不壊の精神。戒定恵の定。定まった命の働き。それは何。御本尊を信じるということ。

仕事においてもうまくいかないのはそこだ。自分の一念心が定まって御本尊を信じ切れたときは泉のごとく智慧が湧くと言われておる。ところがそれができない。煩悩障が起きて、目の前のことに振り回されるから。ところがそれをセーブさせていく妙法蓮華経の力がある。その力をみんなが持っていながら使うことができない。だから寛尊の仰せに曰く、刹那の成道。これが大事なの。これ臨終のときの話だけども。煩悩障が起きたときに、それを抑え込む信心ができてるかということなの。ここで話をしてる時は、みんなできてる。強く妙法蓮華経の話をしてるから。だから自分でもできると自信が湧いてくるわけだ。ところが一歩外へ出て周囲を見ると原因結果を知らん人ばかりだ。目先のことしか言わない人ばかりの中でやろうとするから傾いていく。だから寛尊が強い一念心がなかったらできないぞと言うのはここなの。ところがそれだけじゃない。刹那の成道とは二度とできないということだから。臨終においては。その時の一念心の強さというのは、御本尊といけるのか、それとも世間のことに引っ張られて死にたくないと死んでいくのか。えらい違いで。刹那というのは常日頃からやってるわけだから。刹那刹那の積み重ねが一日になってるから。その刹那刹那の成道ができてますかと大聖人様は教えてくださってるわけだ。だから何か起きたときに南無妙法蓮華経といくことができるか。それとも困ったと言ってしまうのか。ここが刹那なんだ。この刹那のときに困ったと思った人は他所へ行く。知恵のある人に相談してみようかとなる。その時は失敗なんだ。ぐっと踏ん張って自分のやるべきことによって道を開けるんだと自信をもって、妙法蓮華経の智慧をいただこうと腹が決まったら御本尊に向かう。その時は答えが出る。

 
 
 

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