末法即久遠元初
- kisuke1965
- 2024年5月10日
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初代講頭座談会 2006年5月16日
大聖人がおっしゃるようにここ(頭)じゃ功徳でないんだよ。これじゃあ。なんぼやったちでないんだよ。実際において行動せんことには功徳はでてこないんで。
私達の御信心は修行だから。本因だから。本因の信心をしてるき。本因ということは成仏する種だから。結果ばっかしを追っかけてるわけじゃないから。だからある経文。大聖人様が引いていらっしゃるお言葉がある。人はみんなね、結果を求めるものだ。そしてその結果もね、良かったという福。福の果を求めるの。しかしそれを求めるまでになぜ本因、幸せになっていくという因をなんで求めないかっていう。そういうお言葉があるの。これは大聖人様が用いていらっしゃるお言葉よね。確かにそうだろう。わたしたちの信心は本因の信心。本果の信心じゃない。本果の信心はお釈迦さんの信心。三千塵点、五百塵点。難しいことばっかし言っとったらええ。だが本因の信心にはそういうものはない。本因の信心には歴劫修行はない。今ここ、この場所が久遠元初なんだ。末法即久遠元初というのはそういうことだ。本因の信心をしておる。
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