時間のない時
- kisuke1965
- 2023年9月2日
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更新日:2023年9月9日
初代講頭座談会 2002年9月12日
質問者→勤行ですけど。どうしても時間がない時があるじゃないですか。
時間のない時にはね、拝まなかったてええ。ええですか。じゃあね、時間がないからね、拝まなかったてええちう。だからね。拝まないっちうことをやっちゃうんだから。時間がないからいうて。自分の極道、棚に上げてね。いやー、時間がないから。テレビはええ加減見るだけ見といてね。時間に遅れるからいうてね。勤行しようにも時間がないぞ、ちうて飛び出ていく。食事をゆっくりしてですね。これは違う。そういう意味とは違う。だから時間がないというのは、やるべきことはやった。自分自体の一念心の中に煩悩障が湧いてきた中に、愚痴の一念というものが湧いてきた中において勤行をさぼるならばそれは懈怠です。けども、やりたいけども本当に時間に追われてやってるんで、何とも手の打ちようがないというふうな。これやったら勤行できませんやったというのは通るでしょう。しかしね、これだてまだね、厳しい人によったらねえ、何言ってんだ言われますよ。そんなこと分かっとればね。もっと朝早う起きてね、二時三時頃ね、眠たいの辛抱して勤行せんのか。(いうて)やられますよ。勤行の大事。御本尊のすごさ。南無妙法蓮華経の素晴らしさ。分かってない証拠じゃないか。実際の話です。これ。私若いときやられた。これ。極道起こしてからね。なぜ長い勤行せないかんが、いうて文句言うたことある。昔はね。そんな信心なんかやめちまえ言うたことがある。クモの巣に引っ掛かった蝶々みたいじゃないかいうて。やめたら罰が当たる。そういう理屈を言うてきたきい(今も)信心できてるんですよ。あなた方そういう理屈も言わんきに誠に真面目やなあと思いながらやってますけど。その時に僕はそういうて叱られた。だからね御信心というのは、その本人がやるかやらないか。その本人の問題だから。これを求道心という。求道心を以てやろうとかかってるときにできなければそれはそれでええ。じゃあできない状態とはどういう時。旅行した時。列車に乗ってるとき。飛行機に乗ってるとき。まだ面白い話がある、これで。病院に入院しちうが。(創価)学会員ですけどね。勤行せんかったら罰が当たるぞと教えられとるから。病院に入院して、御本尊もせないかんいうて(安置して)。それも大部屋で。朝が来た。勤行せないかん。いうわけで、大きな声で南無妙法蓮華経と。看護婦が飛んで来た。吃驚仰天して。そんなことあるんですよ。実際に。それから見舞いに来た人がおんなし(同じ)ようなもんで。信心してる人のところに見舞いに来た。そうすると御本尊があるから、御本尊様にご挨拶せんかったら罰が当たると教えられてきてるわけだから、お数珠取り出して南無妙法蓮華経と三回やったそうな。そうしたら看護婦さん飛んで来た。死にゃせんだったかいうて。実話。あった話で。こういうことがあってる。場所によっては考えてみないかん。ただ、あげるが能(のう)じゃない。ええですか。さっき言いましたね。生活法なんだということが頭になかった(な)らば。ひとさんに迷惑かけるような状態にしとって、御信心です御信心ですとは通るもんじゃない。やはりそこには常識というものが必要。あなたさんが出張して勤行する時間ないろう。それは同僚もおるわけで。(以前)前は厳しいに、旅館において勤行できるんであれば勤行しなさいと言うた。(でも)勤行ができない状態であれば勤行しません。自分の一念心の中に御本尊信じてるんだもの。普段から御本尊信じてやってるんだ。でもなんぼ勤行しても、周囲を気兼ねしながらボソボソボソボソやりよったら何ちゃならんでしょうが。よう忘れんけど。顕正会のとき船に乗ってみんなで行くのに。船の中でボソボソボソボソ。あっちでもこっちでも。列車でもそう。そんなことして大聖人様喜ばれますか。そうじゃないでしょ。そういうところを気を付けてね。してもらえたらいいと思います。
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