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怖いもの二題

  • kisuke1965
  • 2023年3月4日
  • 読了時間: 4分

初代講頭座談会 2003年3月3日


うちにある御影さん。最初仏。知らん人は謗法だといってる。この御影さん。やってることがね。


さあ、今日は時間を割いてこられたんだら遠慮なく発言して頂戴。そうじゃないと意味がない。


自分のことだけどもね。今朝もこれは話したんだけど。ゆうべ、〇〇さんが、SさんとNさんに会ったそうな。とても温厚な姿になっとったという話をして。およそああいうふうにガアガア言うた人に見えなかった。温厚な人になっとった。それ聞いてね、私もホッとした。おかしなもんでね。自分なりに、へー良かったねえ言うて。ほっとしてね。それがっ、ちうて。なあんてな、いうて気持ちはひとつも湧かなくてね。良かったねー言うて。いかに組織というものが怖いかわかるねーって。そういうふうに温厚になってね、どこの奥さんだろうという姿で。見たがっちうて。しかしそれはね、心(しん)から良かったねーと言える。ということは自分も変わったんだなということなんだろうな。でなかったら、それを聞いたときに本当に心から良かった良かった、言えないよね。それがね、言えれるちうことは素晴らしいなと思うてね。組織の怖さとはこういう所にあったんだなと。組織そのものが信心を狂わしていくんだなということがしみじみ思うんだよ。うちの住職が組織を嫌がる理由がわかる。うちの住職は組織をうんと嫌がる。ただまあ、組織といっても本門講もひとつの組織体だけどもね。邪道的な組織じゃないからね。およそ大聖人様の組織とは指導教師というものがなけりゃいかん。指導教師とはなにかと言ったならば坊さんなんだ。法華講だなんだといっても全部指導教師というものがおって、はじめてその組織が成り立っていく。ところが顕正会においては指導教師はない。浅井昭衛氏が独断で訳の分からんことをひねくり回して言っている。それから今の創価学会も指導教師はない。池田大作氏が俺は仏だ、言いながらやってる。創価大学なんかも、東京大学なんかに合格した連中を、こんな大学に行くよりも創価大学がええぞと引っ張っていく。そういうことをしてる。創価大学は。創価学会の精神そのもの、淀んだものが創価大学に流れ込んでいる。そういうふうなことも聞くけどね。いずれにしても仏法をたもっている者がそんなことじゃ困るがなと思うけどもね。これも日本の国のあるべきひとつの姿だろうかと思いながら、話聞くけどもね。まあなにせ、組織体の怖さというのはそこにある。だから、御信心は組織に騙されながらやるのか、付和雷同して、一人がわわって言うたらそれでついて、自分というものを失うてやってるのか。大聖人様の御信心ていうのは自分を失うたらいかん。あくまでも自分というものを、きちーっとしたものをもっとって、正しくものを見ていく力というものがなかったならばいかんよね。まあ、そういうふうなことでね、自分自体の成長がなかったらば人の話を聞いてもわからん。


だから、もう一つ。これも話に聞いたことだ。口数が多いというのは失敗するねえ。大聖人様が口数が多いということは、自分を倒すとおっしゃる。ええこと言いよっても、口数の多い人は必ず言い損ないしてる。その中で。すぐに聞いたことをパッパパッパどっかへもっていって話をせな、おれんという人がおる。やがてその人は信用を失う。誰ーも相手してくれなくなる。それがわかってきだしたら。病院のことでちょっとしたことがあってね。患者さんとのね。世間は狭いなとしみじみ思うたけども。口数が多すぎるばっかしに誰からも相手にされなくなる。終いには嫌われていく。病院からも出てほしいということになる。本人はええつもりでペラペラしゃべっている。それで失敗していく。大聖人様の御文にもあるけれども、口というものほど怖いものはない。生まれながらにして口に剣(つるぎ)を含んでいる。あるいは生まれながらにして炎を含んでいる。そしてその炎によって人を傷つける。剣によって我を傷つける。だからこれ使わん方法は何かというと無口。知っとっても知らんふりする。これが一番大事なことだ。それ知っとる、パッパッパッパとやっちゃう。そうすると尾ひれがついてきて、必ずへっちごとが始まる。これが組織の怖さだ。組織でやり損なうている人はみんなそうなんだ。これから始まっている。ペラペラペラペラ自分を守るために言うた。それが失敗する。そういうふうなことも取り上げるほどのことじゃないけども、御信心をしていく上においては大事なことで、こういうことを心得て南無申し上げておらないかん。まあ、参考までに。

 
 
 

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