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己心の法門

  • kisuke1965
  • 2023年8月6日
  • 読了時間: 4分

更新日:2023年8月10日

初代講頭座談会 2002年8月8日


天台の摩訶止観にでている。たったこれだけの敷居が、その本人の引っ掛かりによってこんな高い塀になる。勇気というものがないためにいつも引っ掛かってしまう。その勇気とは求道心。法を求めていこうという気持ち。その求道心が自分の生活を支えている。御信心は生活に溶け込んでないといけないと話している。生活と切り離したものではない。みんな切り離したものと思っている。だから戒定恵の三学がまとまった時には。南無妙法蓮華経と一回題目をあげる知恵は三世十方の諸仏の智慧。これをたった一言、南無妙法蓮華経によって三世十方の諸仏の智慧を得る。これ大事な話をしよるぞね。たった一回の南無妙法蓮華経によって釈尊の因行果徳の二法を得ることができる。ものすごいんでこれ。だから大きな問題で困ったというときにはね、自分の知恵を捨ててしまって南無妙法蓮華経と御本尊に向かう。その時には不思議な知恵が湧いてくる。これが三世十方諸仏の智慧なんだ。自分じゃ考えつかん知恵が湧いてくる。考えつかんことをやっちゃう。自分で。こんなことええろうかということやっちゃう。それがもののズバリ当たる。どうしてそんなこと知ってましたかと後から聞かれる。あるいはどこかで聞いてましたかと聞かれる。僕らも何十回何百回と体験を持ってる。だから大きな問題のときは全部これで行く。自分の考えは捨ててしまう。自分の考えを持ってる人は、いや、それは難しいです。できません。できません。みんな言ってる。自分の考え持った人は。しかし仏の考えを持ってる人はそんなことはいらん。これはいけません。あれはいけません。そんなこと言う必要はない。いかんものはいかんでいいから。これはねえ、あなたが遠方へ行った時に、今言ってることが分かったらやってごらん。一つ一つ道を開くから。どんな環境でも開くことができる。そういう信心なんだ。生活と密接な関係があるから。家の中で信心しろと言っちゃいかんよ。止められてますよ。しちゃいかんぜよ。お父さん信心しいや、言うたらいかんぜ。信心させたければあなたが変わるんだぜ。まだまだ変わる余裕はあると思う。素晴らしい女房さんになっていったら。親父さんの方が信心しようかという気になる。そうしてちょうだい。実はね。亭主が信心するまでは本物じゃないと言われてる。僕は昔、女房を信心させるような信心じゃなければ駄目だぞって言われた。いつも女房の尻に敷かれて、拝みよっても女房が来て、あなた何しゆう言われたら飛び上がって出て行くようでは功徳はでんよ、いうて。僕らは言われた。こんなすごい信心でこそこそするのは情けない。それには理屈じゃない。末法濁悪は本未有善でしょ。末法は善根というものはない。そういう時に口先でペラペラ言って人は信用する?病院がそうやな。何々博士何々博士。診療の科目を書いてある。その医者が腕がたつ医者で病気が治ったというなら、人の口伝いに評判が広がって、こういう医者は病院勤めをやめて、自分で病院を開いてやってるよね。患者さんもついてきて。お互いそうなんだ。この御信心は素晴らしいですよと言っちゃったて、自分自体の振る舞いがケンケンケンケン。人を見たらガンガンガンガンやって。家では喧嘩ばかりして。この信心は素晴らしいですと言ったら、そんなに素晴らしかったら自分のところが変わってみい、言うたらそれでいい。これ、私の言葉と違うぜ。寛尊のお言葉で。それが折伏なんだ。自分がどこまで変わっておれれるか。自分がどこまで人さんに支えられて今日があるか。その喜びがなくて、手前が偉いような錯覚を起こして。自分が自分が自分がと言ってるようでは。違うんだよ。大聖人の仏法はそこがしんどいんだよ。この御信心をする限りにおいては自分じゃないんだよ。人さんによって支えられていくんだよ。どんなヘゴな人がおるか分からん。どんなヘゴな人であっても、そのヘゴな人ヘゴな人によって、自分自体が教えられるものが多々あるんだよ。それがつかめる自分か、つかめない自分かだよ。なんぼ信心信心いうても顔色がパッと変わるようなこっちゃ話にならんわけだ。だから本当の功徳とは自分がどこまで変わっておるかということなんだ。己心の法門なんだよ。大聖人の仏法は。モノを得る法門じゃないんだよ。餓鬼道を招くような信心じゃないんだ。己心の法門なんだよ。

 
 
 

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