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刹那に南無妙法蓮華経といく

  • kisuke1965
  • 2023年6月16日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年6月18日

初代講頭座談会 2003年6月23日


質問者 刹那成道の積み重ねでいけば臨終正念ですか。


臨終正念というのは、刹那成道の積み重ねというよりも毎日の話だからね。刹那成道は。毎日刹那成道ができるかできないかということだろう。積み重ねはどうこうなしに。そういうことだろう。例えば、日常の生活の中において徴(しるし)先に現れていく。徴っていうものは、すなわち現証が出てる。これは猊下様の御説法の中に、どなたやったかな。これはその人が成仏しますよという証明なの。ええですか。現実に日常の生活の中で体験を得ながら、そして自分自体がニコニコニコニコと笑いながら嫌なことも受けて立てれる自分に変わってきたということは、取りも直さずその本人は息を引き取るときに成仏の相を現ずるわけだ。その時に既に、もう成仏できますよということが証明されてるわけだ。現証現証といってるけども、実は裏はそれがあるわけだ。だからその現証を見たときに、その御本人は間違いなく成仏をするなということが分かるわけだ。ところが毎日毎日、何か口舌を言ってる人は、息を引き取るときには多分に虚空をつかむと言われているわけだ。十(とう)が内八つまでは多分、空をつかむような状態になってきて、苦しんで助けてくれというふうな状態になるんじゃないかね。それは日常の生活の中において法を信ずることができなかった人のありようなの。だから刹那成道というのは一刹那の成道ですから。これは難しいことも何にもないけども、日東上人は刹那が大変大事だと仰っている。日東上人は24世か。。寛尊よりか前の方ですな。(日東上人は第29世。寛尊よりも後。第25世の日宥上人は寛尊の前)。その日東上人がおっしゃっているのは刹那の成道。そして一刹那に戦える自分。なんでもそうなの。困ったとこう思うた時は、それ一刹那なの。なんでもが。こう向かい合ったときに、いや困ったと、こう思うときは刹那なの。いや嬉しいと思うことも刹那なの。嫌な人に会(お)うたと思うことも刹那なの。一刹那。その時の刹那によってあとへずっと引きずっていく。だから轢き逃げなんかにしても、あっ、しもた。そのおじけづいたものがそのままずっといってるわけだ。瞬間、しもた。困った。どうしよう。逃げていく。だから日東上人は私たち自体が物事は刹那に決まるとおっしゃっている。刹那に決まっているんですね。その一刹那に物事が決まっているわけ。その刹那のときに南無妙法蓮華経ーと、こういけれるのか。刹那のときに困ったーと、こうやってしまうのか。刹那のときにどうしようと、こうやるんが、どうしようとやったらそれをズーっと引っ張ってる。その時に御本尊だと、こう刹那に決まった人は打つ手が全部違(ちご)うてくる。打つ手が全部違う。だからあなた方にはあんまり言うてないけど、高知の人はみんな知ってるよ。車でもなんでもガシャンとやったら、南無妙法蓮華経といくんだぜと。ところがみんなガシャンとやったらどこが傷んだ、誰がやった、どういうふうに言うたらええろう。計算ばっかし。そうじゃないんだ。ガシャンとやった時、南無妙法蓮華経だといくんだよ。あとは相手任せ。相手任せで相手の言うようにやっとったらうまい具合にいくんだ。何でもが。それを知っとらないかん。これは刹那の話だ。だから刹那成道ってそういうことなんだ。そういうことを心得てほしい。だから、ここにいらっしゃる方はみんな法を求めてやっていらっしゃって、その刹那成道はここへ来る段階までは出来たわけだ。こう。その腹が決まってきたわけだ。いや、どうしよう。こっちにええもんがあるけんど、あっち行こうか、ってあっち行ったときは成道はよう遂げられん。けども刹那だから、この次は分からんのだぜ。この時にどうするかっ、ちうて、せっかくここで成道を遂げとって、一歩出てからどうなるか、それは分からんよ。刹那刹那だから。ええかな。

 
 
 

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