別感の功徳
- kisuke1965
- 2022年2月6日
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初代講頭座談会 2009年2月24日
別感の功徳をいただくには並大抵の信心ではダメだ。人一倍の信心に立たないかんということだろう。人一倍の信心とは、一生懸命拝むことではない。どういうふうな状況の中におっても、手詰まりの状況の中であっても法を信じて行動せいということなんだよ。他の者が食うや食わずであっても、こちらの方は、いやまたこんなものが手に入りましてね、いや不思議なねという話になるのよ。別感の功徳をいただきよるから。共業(くごう)、別感だから。共業はともに苦しみを受けないかん。これが共業だから。同(おんな)しような苦しみを受けとるのに変わらんけども、実は違(ちご)とって、なんでこんなに守られていくんだろうかなという姿を見せ始める。これが別感の功徳だ。皆さん方、それをいただいとらないかんはずなんだ。今。なんでこんな状態で守られていくんでしょうね。こんな状態なのになあ、となっとらないかんよ。みんなそれなり大なり小なり功徳いただいて。皆さん方何ちゃ言わんけども、こっちは想像してるだけだけど。想像間違いないと思うけど。功徳いただけよると思うけれど。本当。その信心というのは、いろんなことに紛動されて、いろんなことに迷わされながら、(それでも)行かないかん世の中だけど。どういうふうに迷うて行こうが、紛動されようが自分が妙法蓮華経を手放さないんだよ。カチッと握ってる。イザとなったとき全部これが知恵となって働くからね。これが信心だ。この信心をしとれということなんだ。そしたら、食べれんような状況になってもその人は食べれんことはない。必ずそこには飢えをしのげることができるような境涯になっていく。〇〇に一時(いっとき)来られたこともある猊下様おっしゃったがな。僕は直接お聞きしたことがある。「歳がいってお体も言うことをきかんようになってきた。いうふうな状況になって。その人がどんな状況の下であろうが、この御本尊を信じ切れてやっているときには、必ず諸天の働き。ここに働いて、その人は食べるに困らん、着るに困らん、住むに困らん境涯になりますよ」って。そういうことをおっしゃっとったよ。僕は家でもしょっちゅう話す。どんな境涯になっとっても信心さえ離さなかったらなって。事実そのとおりの姿をみんな見せていきよる。不思議なもんで。その時の信心のありようは、ただ正直でなければいかん。これは不正直は通らん。世間は通るけども大聖人様には通らん。偽りの信心でなしに、本当に腹の底から信じ切れる自分になっとらないかんな。だからな。心配ないよ。どんな状況であっても。お父さんがどんな状況であっても。そんなの問題じゃないよ。手詰まりがええんじゃ。かえって。一切御本尊様にお任せしたら、ひとりでにこっちの思惑通りの行動が始まるから。これは体験したから僕が。自分が体験したんだから。一番の頭痛の種やった。いま正直に言うけど。ずーっと御祈念しとったけども。やっと道が開いた。ああーっと胸をなでおろした。それが。最近の話だ。ちょうど〇〇さんが来られとった時に会(お)うたなあ。あの時だよ。ああ道は開いたな。くつろいだ。これで。ずーっと御祈念しとった。一言も言わんで僕は。相手に一言も。相手を責めん。一言も何にも言わんと。全部妙法にお任せしてやっとった。ちゃーんと元通りに戻ってきた。不思議なもんだ。それはこちらが強(つよ)なけりゃいかん。それが定(じょう)だ。戒定の定。これは自分が変わることだ。自分がちっちゃなことで行動をつけて、ちっちゃなことで頭ばっかしやりよったら変わりっこないんだ。これは自分が変わったら言わんことだ。なんちゃ言う必要はないが。(放)ほっぽらかしとけ。妙法蓮華経だから。知り合いは、その前の木と一緒だから。こちらの思惑通り動き始めていくかどうか心配せんでええんで。ところがまだ原因が分かってないから。自分とは別個と思うてるから。。これが分かってくるとな。不安ないが。心配することないで。心配するほうが本当おかしいんだぜ。正直言って。そういうところ(心境)へ行ってちょうだいよ。でん、と構えこんでちょうだいよ。今日、戒定恵の話になったけどもね。けども日常の生活の中でどうこう言っても一番左右しているのは自分の持ってる福徳果報だから。だから本当に福徳というものは普段の僕たちの人知れずありようの積み重なりが自分に徳をつけているんでね。その普段のありようがうんと大事なんだ。日常の普段のありようが。それが自分に徳をつける。そしてその徳というものをもって人を折伏していく。これが末法現在濁悪の中における折伏弘通のありようなんだ。だからいまここで折伏弘通をしようというならば自分にそれだけの徳が付いておるかっちゅうことだ。無言の中に相手をね、本当に信心っていうものは大事ですねと言わせるだけの自分になってるか。口をもって言うのはしやすいんだ。ベラベラベラベラ言うことは。しかし、そんなんは人は誰っちゃ聞かせん。それよりか事実こんなになりますよという姿を見せたらみんな口を唖然と開けて、へーっちゅう(と言う)。(それには)うんとおかしな状態を見せておかないかん。ホンマの話だ。これ寛尊から歴代の法主上人から能化さん方みんな言うのよ。だからいろんな姿を見せて。あれがどうならいという姿を見せておろうがものすごいんだよ。言い換えれば、過去の約束事でね、そういう姿を見せるような錯覚を起こすんだよ。そして妙法蓮華経の功徳を相手に見せていくんで。病気の人は一番早いんだよ。驚くのは医者が驚くんだ。首振り出す。分からん言うて。なんでこんなにいくんでしょうって。あなたと同(おんな)しような病気しとるんやけど。片一方はこんなで、あなたはこんな。どうしてでしょうねえ。ってことになっていく。ある医者曰く、神のみぞ知る。そうなっていくのよ。だから当たり前の姿でありながら当たり前の姿じゃない姿を見せる。そういう姿を見せてこの妙法のすごさを分からせていく。だから平々凡々できたら、御本尊様の功徳が分からんと、人さんに教えることができんろがえ。
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