ナポレオン・ヒル
- kisuke1965
- 2024年11月4日
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2006年11月15日 初代講頭座談会より
アメリカで。この人も無一文から財を成した人やけんども。全部おんなし(同じ)こと言われてる。執着したらダメになる。だから執着するんやったら悪いこと考えないことだ。いいこと考える。常に。何事もぜんぶ。こうなる。こうなる。こうなる。末広がりのことを考える。なんか似ちゃあせん?。なにかに似てない。この話。似ちうねえ。大聖人様の教えと似ちうねえ。そのとおり。僕は大聖人様のお言葉とそっくりじゃのう思うて。で、ずーっと読んでいきよったらほとんどコピーされとるようにでてくる。言ってることが。やってることが。キレイごとじゃ世の中進んでいくもんじゃない。泥をひっかぶってでもやっていかないかんときがあるの。そのときにキレイごと言いよったら倒れてしまう。だから事相。私たちの事相とは生活やろ。生活そのもの。だから法華経をたもっていくうえにおいて、大聖人様が世間の善論みなこれことごとく法華経よりいでたり。某檀越殿に向かって仰ってるお言葉が、御宮仕えを法華経と思し召せ。そういうふうな大事な言葉があるんです。そうすると信心しながらなにを重んじておるのか。本当に妙法蓮華経が信じきれてきたならば、今度は事相なんだ。どういう姿が出てきよるのかと。その事相をジーッと見とらないかん。いうことが出てくる。それ言葉を変えてナポレオンという人の本に出てくる。そのことが出てくる。ワシもビックリして読んだがねえ。中略。
法華経二十八品。いろんな言葉が説かれてあるけども。一番最後の観普賢菩薩行法経の中においてそういうふうな大事なことを仰っている。大聖人が引用されてね。だから僕らは信心信心とやってきてるけども自分の日常の生活をウンと真剣に考えていく。だから信心をやっても自分の日常の生活がなんにもならなかったら。ねえ。そうかといってその信心がなにを説こうとしてるのか。一番根本要は心根。心の根。これが大事なんだ。心根。これに向かって折伏をする。だから本門講が折伏っていうのは人に向かってベラベラ喋るんじゃない。自分自体をやれってよくいってる。あるところにね。お寺の方のなにが来た。ある人のところに。そこのご主人だけれども。職場へ来た。あんたらは◯◯に付いて、折伏の「しゃ」の字も言わんようになってるけども、それじゃ功徳が出んとかなんとかいうて来たらしい。そのときにその方が。あんたらなら簡単なことだ。自分がなんにもできん者がペラペラペラペラ言うて。人にそんなこと言ってる。言えたもんじゃない。本門講はそうじゃない。まず自分を折伏しよう。自分自体を折伏し、そしてそのなにをもって人に話をするんだ。その姿。だから自分を折伏したならばまず自分自体がどこまで変わっていくか。その変わった姿をもって相手に示していく。事相。その変わった姿。事相。この姿。これをもって相手に示していく。これが大事なんだ。だからあんたらがいってる折伏と我々がいってる折伏は違う。あんたらみたいな簡単なもんじゃない。折伏っていうものがいかに難しいかというのはこれをもってわかる。
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