感謝する
- kisuke1965
- 2024年7月5日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年7月8日
初代講頭座談会 2006年7月21日
お久しぶりにお会いしますがね。いや、お元気で。仏道修行というのはたやすいようで難しい。そして折伏においてもたやすいようで難しい。順縁の場合はしよいですけど。逆縁の場合は言葉じゃないからね。逆縁広布とは自分の姿を見せる以外に何もないからね。ほかには。折伏っていうのは。仏道修行していく。一番自分との戦いで敗れやすいのは煩悩障が起きてきて。ああでもないこうでもない。ゴタゴタ考えていく。それが全部自分の成道を打ち消していく。それが自分の実生活に現れてくる。だから幸せでいく人といかん人のポイントがやっとわかりかけてきた。それは何かというと、物事に対して感謝の気持ちをもってモノを大事に扱おうとしている人は幸せな人だね。反対にちょっとしたことでも不足をもってグツグツ言ってる人はね。その持ってる根性が自分を不幸にしていく。はっきり出てくる。小さな問題でもその本人によって大きくなる。ところが反対にそれを見切ってね。あと何も引っ掛かりもなにもせんとね悠々とやってる人はね大きな問題がねエーッという状態で解決してる。そういうのを実際において私自体が体験し目の前で見てる。ここ3、4日前の話だ。これは。だからね大聖人様のおっしゃることに嘘はない。ただそれを打ち消し打ち消し否定をしてるのはこちら側にある。僕たち自体がね法というものを知らんからね。そんなことが、という言葉がフッと出てくる。そしてね。この問題は大きいぞと自分で決めてしまう。大きかろうが小さかろうが小っちゃな問題なんだぜ。それが仏法をわかってないと、どうしても大きなものは大きいと。そういうとこから打開の糸口というものを消してしまう。なくしてしまうということがわかってきますね。一番用心堅固でおらなきゃいけないのは常日頃から朝晩の勤行はキチーっとすること。寛尊は朝夕の勤行ができてない人には、なんぼええこと言っても無理だという。できないから。朝晩の勤行ができてない人は無理な話だ。ええということがわかっちょっても煩悩の方が先勝つから。ほら。
そういうことでね久しぶりのなんでね。遠慮することなく。またしばらく会えんから。こうやって(高知の人が)集まることないからね。あなた方(松山)が来られるからこうやって集まってくる。高知の人はね。行かれませんか?行かれませんか?言うてくれる人は誰っちゃおらんが。こっちが出て来んか出て来んか言うてもなかなか出て来んが。こんなこと言われんけんど。その点あなた方は押しかけてくるから。押しかけてくるということは何か聞きたいことがあると思うのでね。どうぞ遠慮なしに。高知の方もどうかね。どんどん何してください。
この間ね。住職さんが来られた時に話したことがあるんです。それはね朝晩の勤行やっとってもね。自分の生活そのものに喜びがなく。真剣な思いをもって生活できない人は拝む価値はないって。そんな人はね南無妙法蓮華経と題目をあげても意味ないんと違うかって。南無妙法蓮華経と題目があがっていくから大事なことがわかっていくんでね。題目があがることによって自分が生かされていることに気がついて物事に感謝する。感謝するということはその人の有難味がわかっていく。有難味がわかってくるから感謝ができる。有難味がわからん人には感謝はないんだから。物事はなんでもそうだ。
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法華ごころP287には、「増上慢が大敵だ-今あることがありがたい」のタイトルで、感謝の達人になれたなら豊かで素晴らしい人生になるとあります。趣意。
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