内薫外護
- kisuke1965
- 2024年1月7日
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初代講頭座談会 2005年1月18日
今年初めてなんですよね。高知も初めてなんです。ともかく今年はね、どういうふうな状態にあってもね、善知識ととらえていけれる自分の信心にたっときなさい。ね。要するにね、御法門の中に大事な御法門がありますけども。みんな大事なんですけどもね。内薫外護と申す法門あり。こういうふうに大聖人仰ってますね。内薫外護。内薫とは即身成仏あるいは刹那成道。自分の仏性というものがでてきて、成道をとげていく。これが内薫なんです。刹那成道とは日常の生活ですから、日常の生活の中において刹那成道をとげていくとは。刹那に成道をとげる。これが臨終のときの成道になっていくんです。だから刹那の成道ができない人は、臨終のときの成道はようとげません。これははっきり言われてます。だから刹那の成道。一刹那。これ秒にしたら一秒の六十分の一と言われてますけどもね。この刹那成道をとげる。これが内薫。そうすっと内薫ということは今度は外護。外の護り。外護。これができる。だから外から敵が攻めてくる場合において、自分自体に油断というものがある人はその隙に乗ぜられる。ところが油断のない人は乗ぜられない。でしょ。すなわちねえ、内薫している人には乗ずる隙がない。相手が。いかなる状態であってもそれを善知識としてとらえることができる人だから。だから内薫外護とは、すなわち、善知識としていかなる状態であってもそれを自分の知識としてとらえて、良い方向へ良い方向へともっていこうとするのが、これが善知識。反対に悪知識は、おなし(同じ)ような問題が起きても、その本人のありようによってそれを悪く解釈し、次から次、悪く悪く解釈していく。鉛筆にしたら先細りになっていく。こういうやりかたをしていく。これが悪知識。ですから善知識というものは自分を護(守)っていくものがある。化儀抄の中に日有上人が、悪知識というのは己を倒すのみならず家を滅ぼしてしまうと注意されている。悪知識とはこんなに怖い。また自分自体もね。こうやって話をしてる最中ですよ。今どっかの病院ではね危篤状態の人が何人もおおると思う。危篤によってね、家族を呼んでください。呼ばれてね、家族。けども病院でのうても、こうやってやっとっても。危篤状態の人がなんぼおるやら分からん。ところがこういうふうな場合においては、自分があと何分しかない、あと何秒しかないというふうな状態におかれておっても気が付かない。元気だから。だから暇に任せて、あるに任せて、あっこ行こう、ここ行こうとやりだす。そうすると自分自体切羽詰まった中で行っちゃうからおんなしような者が固まってしまう。そこへ。。固まってしもうてドサッと来る。来たら運命共同体ですき、ワーッとやられちゃう。これは、先だってのスマトラ島沖の地震で何万の方が亡くなった。講頭はどう解釈しますかと問いがありました。徳島から問い合わせがあった。実はこの方、なぜこういう問いをするかご自分で説明してくれた。高知の(日蓮正宗寺院の)信者さんが二人訪ねてきて悪態雑言いうたそうな。ここ(本門講)の。徳島まで来て。あまりの悪態雑言に腹が立って家へ入らなかった。入れなかった。表で二時間もしゃべっとった。迷惑な。あれが信心しとる姿かと。そんなこと言うもんじゃない。放っときなさい。(と言った)。その時に、日蓮正宗を誹謗して管長を誹謗するから、ああいうふうなことになってスマトラ沖の地震が起きた。これ平気で言っとるらしい。だから私言った。阪神大震災の時にそれ平気で言ってるんだからな。阿部管長は。創価学会が日蓮正宗を誹謗して俺を誹謗したから阪神大震災が起きて6千何名が死んだんだって。これ記事に載ってる。そしてまた奥尻島の地震があったときに俺を誹謗したからああいう地震が起きたんだ。大日蓮に出てる。活字になって残ってる。事実。そういうことで私のところに問い合わせが来た。だから私はそれに対してはそういう何じゃない。これは地球規模の災難であり。地球自体に変動が起きてる。常住壊空というもんじゃなかろうか。その証拠に地球の自転に狂いを生じているということが言われてるし地球自体が今もって震うているということも言われてる。これから先どうなるかそれは僕には分からん。しかしたまさかそういう時代に生まれ合せているんだ。じゃあ、末法ですからね、と言うから。違う。確かに末法という言葉は使うけども、これはこの法を信じ切ってやっている人のみが言う言葉であって、妙法蓮華経を信ずることができない人、たもってない人が末法という言葉を使っても始まるもんじゃない。それは釈迦仏法の末法ではあるろうけども、日蓮大聖人様のこの末法の云々じゃあない。だから私たち自体が末法だ末法だと言うのは、日蓮大聖人ご自身が仰っているように、この法をたもつ、すなわち戒壇の本尊が出現をした時点をもって末法と言ってるんであって、それ以外は末法と言ってないから。じゃあ久遠元初、今からずーっと昔の、久遠の昔のまだ昔のという話をしますけども、そんなもんじゃない。久遠元初ということは即末法なんだということを言ってるんだ。久遠元初即末法というのは、信心をしている私たちが言ってることであって、私たちがそれを感ずることであって。なぜかといったならば当体義抄の中にこのこと仰っとるじゃないか。「聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す」。妙法蓮華経とはいったい何かと言ったならば、万物に名をつけるときに万物そのものの個性そのものの状態に因果倶時の一法があった。それを名付けて妙法蓮華経と言っとるんだ。それまでは何もなかった。ここから始まってる。この南無妙法蓮華経の出現はちょうどその時なんだ。久遠元初とはこういうことなんだ。末法とはこういうことだ。これは寛尊の御指南なんだ。もし分からなかったら六巻抄を開いてみてごらんなさい。そのことが詳しく出とるから、言うて説明した。だからスマトラ島の地震がどうのこうの。それで災難で死んで。固まっとるんだろう。死んでいく人が。いまも言ってるように危篤状態の人が何人も固まったんだろ。それを知らんだけのことだろう。自分が危篤状態に置かれてることが。元気なために。ほいで明日がある明日があると思うてるんだろう。だからそのことを大聖人様が百年千年万年生きるつもりでみんな頭ボケていると仰っている。金があろうがなかろうがそんなこと問題じゃない。その人が知恵があるとかないとか問題じゃない。その人の立場が重要な立場か、そんなこと関係ない。これだけは。死というものは、その本人の状態。寿命があるかないか。そして、その寿命を引き延ばすことができるかできないかは、何ができる。知ってる?一つのものがあるんです。その人をね、ずーっと大事にしてくれる、何(なん)です。何じゃろうね?何じゃろう。さて、何が私たちを大事にしてくれるんだろうね。。。果報なんです。その人を護っていくのは果報なんだ。その果報というのが内薫から生じてくるんだよ。ええい(いい)?内薫から生じてくるものはこの果報なんだよ。だから内薫外護といって大事な法門があるとさっきも言ったでしょ。大聖人が仰っていらっしゃる。内薫というものは内に感ずいていく。自分たちの命というものはゆとりができていく。そして常に南無妙法蓮華経と御本尊様のことを思って題目をあげていく。それが今度は自分自体を護っていく行動が始まっていく。そして自分の命に行動せないかないという、ずーっと付きまとい始めてくる。ですから今年はどういうふうな状態に置かれても、皆さんがね、善知識としてとらえれる自分に変わってちょうだい。そうせんとこれからの世の中は大変な世の中が来よります。日蓮大聖人様が仰るように、いかに別感の功徳別感の功徳といっても、別感の功徳をいただく信心は並大抵じゃないのよ。第一番に別感の功徳をいただくにしても、内薫外護で自分自体が刹那成道ができるかできないかが問題なのよ。成道ができるからここに内薫外護というものは成立するけども。成道ができなければ。大聖人は知恵才覚に及ばずと仰る。何が?自分の成道がとげれることは知恵才覚じゃない。実は、まごころなり。まごころなんだ。何のまごころ?妙法蓮華経に徹するまごころなり。このまごころが自分を成道をとげさす。そして、いかなる災難といえども逃れることができると、はっきり四条殿に仰ってる。真実のこれ、南無妙法蓮華経。だから世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず。世間の留難とは我々の日常の生活の話だからね。
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年初から能登半島地震やら羽田の航空機事故などありまして。タイムリーな2005年の座談会でした。
まごころとは、法華ごころにある「志ざし」ですかね。
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