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善知識

  • kisuke1965
  • 2024年6月1日
  • 読了時間: 7分

更新日:2024年6月16日

初代講頭座談会 2006年6月19日


自分で話を聞こうとするのか。人に言われてるから、やろうと、こういう気持ちになるのと。全然違うてくるの。信心の姿勢は。その人にとって。強制はしていないの。だから縁あって松山の人が来られたときに話を聞きたいという方。そして普段からなんとか御信心の話を聞きとうて、機会があったら声をかけてくださいという方。そういう方は、かまん(構わない)時にはこうやってねえ。声をかけてあげよるわけやき。出ておいでっちゅうて。強制じゃないろう。それはなにかいうたならば、お互いがお互いに善知識を求めていこうとする姿勢があるわけだ。兼ねがね、常々にその姿勢というものを持っているわけなんだ。善知識を求めなかったならば自分が困るということを知ってる。だからそうだろう。この善知識ということはね。普段から自分に腹ができてる人はね、どういうことにぶつかっても心配せんのよ。普段から腹がない、普段からちゃあちゃあやって、浮足立っとるような生活しとる人は、なにかの問題が起きたときには途端に顔青うしてるんだ。これは腹ができてない人なんだ。しかし普段からそういうことありうるんですよっちう気持ちをもって信心をしている人はゆうゆうとしたものを持ってるんだよ。そうじゃろう。これは善知識を求めているからそうなるんだよ。ほら。松山の人がこうやって訪ねてくるっちうのは、常にうちらも言うけども、善知識をいつの間にか身に着けて、いつの間にか信心というものが自分の生活を助けよるということに気がついてるなっ、ちうて言ってるのよ。それがなかったらよう来やせんよ。その日その日が楽しうて、アホみたいな、道(みち)会(お)うたらワーワー言うとるほうがよっぽどええがね。言葉悪いけど。ほら。だから信心の姿勢というものはそういうものだから。だから今日らもこうやって出てきて話ができるということは、僕も有難いし、あなた方も有難いし。両方有り難い。特に僕の場合は、うんと有難い。なぜかと言うたらね、どんな状況に置かれとってもね御信心の話が入った時にはね体がしゃんとしとるのよ。不思議ぜえ。これはなんでか僕にも分からんけどもね。体がしゃんとする。で、この間ね、あれいつか、木曜、木曜日か、警察行(い)っちゅうたけどもね。なんとね、子どものころから、七つか八つかな。八つのときからずーっと持病があった。持病が。みんな吃驚するろうけどね。そんな持病をもっとった。それが今回ね。全部ね、治ってしもてる。その持病が。もう驚きの。先生がふーーん、唸る。その治っちゅうがで。治ってる言うて。もう行くたんびに注射されよったよ。その注射を。ね。だからもう元気が余計出てくる。そんな状態なの。妙法蓮華経のすごさっていうのはな、もう言葉では言いようない。ほんっとに言葉で言いようがない。その信心をするのよ。ほたら、そういう信心をね、しとるちうことがまず分かったら、本当に分かったらね、こんなすごい信心のありようをね、聞かいでたまるもんかと思うのよ。毎日毎日、無為無策で生活しよるのよ。ハッキリ言って、それはなにか。目の前の食べること食べることで。無為無策なのよ。肝心かなめの自分自体がね、なにかにぶつけられて大地に叩きつけられるようなことが起きた時どうするかっちう警戒心がないじゃん。全然警戒心ない。そんなことありませんと思い込んでるの。みんなが。私に限って。こう思い込んでる。その私に限ってが怖い。やっちゃうから。だから僕たちは明日の日が分からんし、これから一時間先が分からんし、もっと言ったら半時間先も分からんし、未来のこと一切分からん。

ガタン。(戸が開く音)おうおう、いらっしゃいいらっしゃ。お久しぶりでございます。(みんな笑い)。どうも。こんにちわ。

そうやって半時間先が分からん、一時間先が分からん。僕たちには。なんで先のことばっかし言わないかんのかと僕は不思議に思うのよ。それは希望かも分からん。その人の。計画をもった一つの希望だと。そういうふうな。希望に沿うていきたいと思う。あるいは果報というものを持っとったらある程度は希望に沿うてはいけるろうと思う。しかしその果報が絶えたときにはどんなになるかね。うーん。これは余分な話かな。言うてええか悪いか分からんけど、説明してあげましょう。うちのね。なにがおる。県の方のなにをしよるが。これがまだ高校出て間がない時じゃ。同(おんな)しように小学校で勉強して成績優秀な男がおった。あれよあれよという間に防衛大学入った。片一方は浪人しよる。あっという間に防衛大学首席のような状態で。いま生きとったら少なくとも旧軍の大佐あたりになっちょらせんかな。あるいは駐在武官。もう亡くなっておらんからな。そういう時にそういう状況で耳に入ってくる。その時に(浪人生の)母親が、じいちゃん、信心しよっても。ちゃんと信心してない子供が優秀で。良くなっていって。。話が出たとき怒った。何を言ってるっちうて。先のことは分からん。何を言ってるか。ましてやこのすごい信心をしてる者が何ちうことを言う。(浪人生)のほうがよっぽど果報がある。それは分からんろう。ものすごい果報を持ってるぜ。いまは出てないかしらんけども。この信心の姿勢がピシッとなってきたときには必ず分かるから、そんなこと言うもんじゃない。不思議なもんでキレイな花が咲いたときには。花の枯れ方は早い。キレイな花は。しかし野草。野に咲いてる花は人から見たならばそんなに実はつかんろうけども、しぶとうて強さを持ってる。これがなけりゃいかんのよ。一気にこうなったああなった、華々しい人で長生きした人あるか。見てみ。おるまいがちうて。みんな苦労してやってきた人が最後に花つけとる。あれはええ、あれはええ、いうた者で順調にいった試しはないろう。見てみいや。知っとる人で。言うたら。そう言われてみたらそうじゃ。ね。だから。出世してから偉うなった偉ろうなった言うてるけども所詮は。そんな考えじゃやられるぞ、言うて。そうじゃなしに地味な考えを持っとらなかったら大変だ。果報を失う。そういう話をしたわな。そうしたらしばらくしてお酒飲んで。なんかのお祝いで。へべれけで道路に寝ちょった。車に。即死やった。遺族は放心状態やったね。いらんこと、他人(ひと)のこと言うもんじゃないけども。お互いにこういうこともあるぞということを参考までに知っとらないかん。他人事じゃないっちうこと。だからお互いがこうやってねえ、南無妙法蓮華経と、出会い難い信心をやってる。この出会い難いということを日興上人さまがどう例えていらっしゃる。一眼の亀の浮木に合うがごとし。こういうふうなね。まことにあられんことがあったちうのがいまの私たちの姿なの。そういう信心してるんで。もうひとつ言うならば三千年に一度咲く優曇華の花。まして人間界に生を得るということは難事中の難事と言われてる。人間界と人間界以外の生命の数字と比較してみなさい。1:万じゃろうがね。その1という数字の中に僕らは入っちうろね。なんで人間界におれたかちう原因を知っとらないかん。これは仏法にハッキリ説かれてある。善根を持っとったちうことだろう。五つある。大慈大悲があった。嘘はつかなかった。五つ。それがあるから人間界に生まれてくる。それを失ってしまったら人間界行かんぜ。例えば臨終のときに人を恨んでねえ、あの野郎あの野郎思うてね。あるいはあの野郎じゃのうても、あの人に会いたいあの人に会いたい思うたり。あの人と別れるのはつらい、そういう思いをもって死んでいく。これが心残りだ、言うて死んだ人は何になると思う。

犬。(笑い)

執着心やんか。呪いをもった怨念ちうか、大蛇に変身する言われてる。蛇に。一念というのはそうなっていく。僕たちの一念というものをよう見てみなさいや。こうなっていきたい、ああしたい。清らかな一念心のもとで常々に希望をもって。口に出しながらやっていったときには何年たとうがそれ忘れなかったら必ず実行されとろうがね。形のないものは形のあるものになって変わってくるろうがね。これが生命の法則だよ。物質化されて姿になって出てくるんだよ。だからおかしな考えもっとる人はおかしな状態になっていくんだよ。愚痴ばっかしこぼしている人は否応なしに愚痴の生活に入り始めていくんだよ。なにかというたら困っております、いや自分は、自分は言ってる人はじーっと後ろへ下がるような境涯に変わるんだよ。こういうことが分かってきたらうかつなことは言われんということが分かってくるんだよ。平静から幸せでいこうと思ったら善根を尽くすことだ。平静から良いことを行う。良いことを考えてる。この人は苦しみはない。ところがそんなこともわきまえんと普段から人のことをペラペラしゃべっておる。大聖人はどうおっしゃる。こういう人にはずーっと苦しみが付きまとうとおっしゃってるやんか。

 
 
 

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